淡き春のプレリュード#2

四、


 食事が終わって、一息ついたら、また、「格闘オーケストラ」の話をみんなが始めた。

「今度の日曜日、我が天道道場に、A響の代表の方と、実行委員の方が打ち合わせにみえる。そこで、相談だが、うちの方の代表には、家長の私となびきでよいかね。」
 早雲が腕を組みながら、みんなにきいた。
「そうじゃのう、しっかり者のなびき君が打ち合わせに入ってくれた方が、我々も頼り甲斐があるというものだな。」
 玄馬が、頷きながら答えた。
「なびきちゃんなら、任せて安心じゃ。早雲だけではちと荷が重過ぎるワイ。」
 と八宝斎。
「お師匠様、それは無いんじゃあないですか。」
 と早雲。
「そうね、経済観念もうちでは一番ですものね、なびきに入ってもらえばマネージメントも上手くいくわね。」
 続けて、かすみ。
「しかっりがんばってね。」
 とのどか。
「じゃあ、そういう事で、誰も異論は無いね。」
 早雲の一言で、天道道場の代表者が決まった。

 乱馬は、誰が代表になろうとそんなこと、一向にどうでも良かった。初めから、この話には乗る気になれなかったのだ。10日ほど、山に篭って激しい修行をして体も頭も疲れているせいもあったかもしれない。また、「格闘」と言っても、「音楽」それも「オーケストラと」とどう結びつくのか、想像力が欠けているせいもあっただろう。何より、事の初めから見聞きした訳では無かったので、異様に盛り上がる天道家の人々が理解出来なかったのだ。
 おまけに、いつも寄り添うように喧嘩を吹っかけてくるあかねの奴は傍に居ない。そんな風だからテンションが上がる訳が無い。

「代表が決まったところで、次は楽器の件だ。みんなにも言ってあるとおり、楽器は都から、もう使い物にならない古いものを譲り受けることになっている。みんな、自分がエントリーしたい楽器とペアは決めてくれたかな?。」
 早雲が言った。
「今度の打ち合わせの日曜日までに、決めておきたいんだけど、決まった人は申告しておいてね。メモっていくから。」
 なびきが紙と鉛筆を持ち出した。
「まず、わし。早ちゃんと」
「玄ちゃんは、」
『チェロでーす。』
 早雲と玄馬がいっせいに言った。
 ついでに玄馬は、コップの水を頭から被り、パンダになった。そして、早雲と腕まで組み、スチャラかチャンとステップを踏んで踊り出した。
 醒めた乱馬を他所に、父の玄馬はやたらにテンションが高い。新物好きの血が騒ぐのか、修行から帰って間無しの疲れなど何処吹く風かとみんなと一緒にはしゃいでいる。
「ったく、お目出度い親父だぜ。」
 乱馬は情けなくなった。
「まあ、仲良しサンね。」
 二人の様子に、かすみがにこにこしながら頷いた。
「他には?」
 踊りつづける二人には気を止める様子も無くなびきが続けた。
「私とかすみさんでパーカッションなんかどうかしら。」
 今度は、のどかが切り出した。
「まあ、すてきねえ。」
 かすみガ同調した。
「主婦コンビはパーカッションっと。ほかには、良牙くんとあかりちゃんでヴィオラっと。シャンプーとムースでヴァイオリンだったわね。それに、右京と小夏さんでチェロっと。あと、私は九能ちゃんとベース。」
 そう言いながら、なびきはメモに書き込んで行った。
「じゃあ、わしはあかねちゃんとチェロでも弾こうかのう。」
 八宝斎が言うと、
「だめよ。あかねはヴァイオリンが希望だって言ってたわ。」
 なびきが冷めた口調で受け流すと
「じゃあ、あかねちゃんとヴァイオリンじゃっ。」
 懲りないジジイが続けた。
「あのね、おじいちゃん。あかねの相手は乱馬君でしょうが。ねえ。」
 なびきが、舐めるようにちらりと乱馬を振り返って言った。
「あのよぉ、なんでおれが、あかねの相手をしなきゃなんねぇんだ?」
 乱馬は肘をテーブルについたままムッとして答えた。
「あんた、あかねの許婚でしょ。一緒に組むに決まってるじゃない。」
 メモに書きこみながらなびきが答えた。
「勝手に決めるなよ。おれは参加するなんてひとっことも言ってねぇぞ!」
 不機嫌そうに乱馬は答えた。
 だいいち、「格闘オーケストラ」に参加する気なんて、毛頭ないのだ。
「あかねが誰と組もうが、おれには関係ねえぞ。」
 そう言いかけて止めた。八宝斎の思う壺にはさせたくない。そんなことを言おうモノならあかねが八宝斎の餌食になるかもしれないからだ。
「あら、そんなこと言ってて、いいの?あかね、家の中でこの話に一番積極的なのよ。」
「まさか。」
「そういえばあの子、いの一番にヴァイオリンやりたいなんて言っていたわね。」
 かすみが割って入った。
「ヴァイオリン?あいつがかぁ?」
「そうよ。そう言ったきり、A響のパンフレットをじっと見ていたしね。」
 なびきが意味深な表情で乱馬に振ってきた。
「A響って?」
「今度共演する、アマチュアオーケストラよ。ほら、このパンフレット。」
 そう言って、なびきは写真付きのぴらぴらした紙切れを乱馬の前に広げて見せた。

 そこには、A響と称される楽団の写真が載っていた。…なんで、こんな物あかねがじっと見ていたんだろう。
「ほら、見て。これが常任指揮者の日向昇(ひゅうがのぼる)よ。新進気鋭の若手指揮者の代表格として、この世界じゃあ有名らしいわよ。いい男でしょ。」
 目鼻立ちのはっきりした、すらっとした男がそこに偉そうに載っている。確かにイイ男だ。
「それに、その横。ほら、ここ。コンサートマスターの神前充(かんざき・みつる)くん。」
 今度は、ヴァイオリンを斜に構えて弾きこなしている細面の青年が載っている。ヴァイオリンを見つめている目が妙に色っぽい野郎だ。
「この写真、とってもいい感じでしょう。彼、ヴァイオリンの腕もプロ並みだってもっぱら評判よ。目の前で甘いヴァイオリンを奏でられたら、私でも、クラッときちゃいそうね。」
 なびきが言うと、
「あら、ほんと、すてきなたちねえ。音楽やる人って、魅力があるわね。」
 かすみさんまで同調しているぞ。
「ほら、他にも、何人か若いイイ男が居そうよ。乱馬君。」
 なびきが妙に乱馬に絡んでくる。
「だから、なんなんだよ。」
「わっからない人ねえ。こんな、野郎の群れの中に、自分のかわいい許婚、一人で放り込んじゃっていいのかなあ。」
「許婚ってたって、親同士が勝手に言ってるだけだろ。だいいち、あかねは可愛くないぜ。」
 さんざん言われて、乱馬はだんだん、ムキになってきた。
「あかねが出るのは勝手だけど、おれは…。」

 そこまで言うと、急に、辺りが暗くなって、何処からともなく生暖かい風が吹いてきて、ヒューどろどろと音曲が鳴った。そう、あかねの父、天道早雲の顔が巨大化して青ざめた妖怪の形相で乱馬に迫ってきたのだ。
「らーんーまーくーーーん、いいなずけのあーかーねーをほおっーーーておく気ぃかぁーーー!?」
 この世のものとは思えない早雲の巨大化。アップで見せられると、血の気が引いていくのだ。
 早雲の剣幕に押しきられたように、
「分ったかよ。あかねと組んで何でもやってやるよーーーっ。」
 思わず乱馬はそう口にしてしまった。

「OK。これで決まりね。あ、それから悪いけど、乱馬君は女の子で登録しといたからね。」
「あん?なんだ?なんで女で登録されなきゃならねえんだ?」
 乱馬はつんのめってなびきを睨んだ。
「ごめんなさいね。昨日都の役員さんが来た時に、なびきったら乱馬くんの写真を間違って女の子の方を差し出しちゃったのよ。それで、都の役員の人も、女の子って勘違いしちゃったの…。それで、らんまって女の子で登録済ましちゃってるの。」
かすみが済まなさそうに言った。
「あんなあ、俺は男なんだぞっ!すぐさま変更してくれりゃよかったんじゃあねえのか?それに、もう登録しただあ?」
「まあいいじゃん。あんたが男で登録となると、シャンプーや右京が黙ってないわよ。女だったら少しは手加減もしてくれるだろうし…。それに合宿とかいろいろあるらしいから、女の子の方があかねと組みやすいでしょ?気を利かせてあげてんだから感謝してよね。」
「なんなんだよ…それって…。」
 全く勝手な話だと乱馬は釈然としない。初めから俺を巻き込むつもりで登録まですましちまってるということが気に食わなかった。
「男の子は細かいことにとらわれちゃダメよ…。」
 のどかまでがにこやかにそんなことを言う。乱馬は黙ってしまった。
「わしは、どうなるんじゃ?あかねちゃんがダメなら、誰でもいい若いお姉ちゃんと組ませてくれ。」
 八宝斎がふてくされて言うと
「わかったわよ、こっちで適当に女の子をみつくろっとくわ。」
 事務的になびきが答えた。
 「ぜったいじゃぞ、ぴちぴちのおねいちゃんじゃぞ。」
 八宝斎はしつこく念を押した。

 乱馬はなんだか、なびきに上手く乗せられたような気がした。いつもなら、冷めた感覚しか持ち合わせないなびきが、どうしてこの話にやたら乗り気なのか、乱馬としてはとても気になるところでもあったが。
「そういう訳だから、練習や本番には女の子ってことで臨んでちょうだいね。」
 なびきはウィンクして乱馬を見やった。
「ちぇっ!面白くねえっ!」
 乱馬は旋毛を曲げてしまった。そして食後のお茶をずずずっと勢い良く胃袋に流し込んだ。



五、

 ふっとあかねは目覚めた。辺りはすっかり暗くなっていた。
 体は、まだだるい。熱も相当高いようで、頭がぼんやりしている。
 元気だけが取り柄のような自分がどうして風邪などひきこんでしまったのだろう。あかねは、ちょっと自分が情けなかった。
 「格闘オーケストラ」の話が天道家に舞い込んできた日の晩から熱が出始めたのだから、もう三日以上部屋にこもりきりだった。
 もちろん、その間に、医者にも行ったが、なかなか熱は下がってくれない。
「乱馬、どうしているかな。ちゃんと食事摂ってるのかなあ、あいつ…。」
 春休みに入るのを待っていたように、父親の玄馬を引きずって、修行に旅立って行った。彼に、一週間以上会っていない。一緒に修行がしたいと思っていても、「女連れで修行ができるか!」といつも冷たくあしらわれる。今回もそうだった。
「あたし、熱で頭がどうかしちゃったかな。」
 人間体が弱ると、心も弱ってくるものらしい。
 普段は顔を突き合わせると、悪態ばっかりが口に出て、どうしても最後には喧嘩になってしまう乱馬。なのに、傍に居ないと、寂しい。
「会いたいな…。」
 そんなことを考えながら、あかねはぼんやりと天井を見つめていた。
 カタッ。
 ドアが開くと、のどかが部屋に入ってきた。
「あらあら、灯かりも付けないで。せめて、枕元だけでもつけなさいね。」
 のどかは、手にしたお盆を机の上にコトンと置くと、枕元の電灯をパチッとつけた。ほんのりと柔らかい赤っぽい光が目にまぶしかった。
「はい、体温測ってちょうだい。」
 そう言ってかすみは体温計をあかねに手渡した。あかねは体温計をのどかから受け取ると、脇の下に挟み込んだ。
「少し空気も入れ替えておきましょうね。」
 のどかは、そう言うと、窓を明渡した。
 さあっと、新鮮な空気があかねのほてった頬を撫でていく。
「あら、お昼ご飯は全然手をつけなかったのね。少しは食べないと、力が出ないわよ。」
 困ったように、のどかが言った。
 ピピッ、ピピッ
 脇の体温計が音を立てて、体温の表示を知らせた。
「39度5分。まだ高いわね。」
 のどかが体温計を受け取ると、
「とにかく、少しでも食べなさいね。でないと、お薬も飲めないわよ。」
「ありがとうございます。、おばさま、心配かけちゃって。」
「後で、氷枕のかえを持ってきてあげるから、少しでも、食べておきなさいね。」
 そう言って、窓を閉めると、のどかは部屋を出ていった。


 なびきに、見事に乗せられて、格闘オーケストラに「参加表明」をしてしまった乱馬は、正直言って、後悔していた。でも、母ののどかの前で「参加表明」をしてしまった以上、結論を覆そうモノなら「男らしくない」と窘められて、「血の雨」が降るのは確実だった。それに、あかねが乗り気だという事も気に懸かる。
…ああ、しょうがねぇなあ。
 煮え切らない乱馬の横で、天道家の人々は、見事に浮き足立っているのだ。
…たく、いい気なもんだぜ。
 ふと、目を落とすと、Pちゃん(もとい良牙)が、そそくさと茶の間を出ようとしていた。
「おいっ、どこいくんだよっ。」
 乱馬は、すかさず、Pちゃんの首根っこを掴み上げた。Pちゃんはあかねの部屋へ行こうとしているのは明らかだった。
「ぴぎーっ、ぷぎーっ!」
 Pちゃんは、乱馬の手から逃れようと手足をじたばたさせた。
「あかねんとこへ、行く気だろ。」
 乱馬は不機嫌そうに言った。
「あらあら、Pちゃん。だめよ。きょうはあかねの具合が本当に悪いみたいだから、代わりに私と寝ましょうね。」
 かすみが、微笑みながら、乱馬からPちゃんをひょいと取り上げた。Pちゃんは、かすみサンの腕の中もまんざらではなかったらしく、抵抗を止めた。
「ちぇっ、厳禁な奴だぜ。」
 Pちゃんは乱馬にアッカンベーをしてみせた。
「Pちゃん、今日は、私とお風呂に入りましょうね。」
 かすみがニコニコしながら言うと、Pちゃんの顔がみるみる強ばった。そして、
「ぷぎぎーっ!」
 思いっきり体を揺すらせると、かすみの腕の中から、抜け出した。
 この家でPちゃんの正体が良牙だと知っているのは、乱馬と玄馬そしてたぶん早雲の三人だけだ。かすみも飼い主のあかねすらPちゃんに正体には気付いていない。
 Pちゃんが、かすみの言葉に焦るのも無理は無かった。
「Pちゃん!?」
 かすみから開放されると、Pちゃんは一目散に縁側から外へと飛び出して行ってしまった。
…ま、これで。当分、天道家には戻って来れねえな。
 ど方向音痴のPちゃんは、一週間かそこら、どこかをさ迷う事になるのだろう。
 あかねにつく虫が一匹厄介払いができたと乱馬がホッとすると、のどかが茶の間に入ってきた。

「あかねの具合、どうでした、おばさま。」
 かすみがのどかに尋ねると、首を振ってのどかが答えた。
「まだ、熱が下がらないの。39度5分だったわ。」
…すごい、高熱じゃんか。
「お昼ご飯も、全然手をつけた様子が無かったし…。」
…あいつに食欲が無いってか。
「仕方が無いから、枕元に夕食を置いてきたのだけれど、食べてくれるかしら。」
…相当まいってるのか、あいつ。
「食べないと、お薬もちゃんと飲めないし、困ったわね。」
 のどかとかすみは顔を見合わせて考え込んだ。乱馬はその傍で、心配げな表情を押し殺しながら、のどかとかすみの会話を聞き入っていた。
 と、突然八宝斎がスクッと立ち上がった。
「わし、口移しで、あかねちゃんにお薬を飲ませてやるぞっ。」
…じょっ、冗談じゃねえ!!
 ほおっておくと、実際にやりかねないエロジジィなので、乱馬はすぐさま制止にかかった。八宝斎の着物を右手でがっしり捕まえたのだ。
「何をするんじゃ。乱馬。」
 八宝斎は乱馬の右手の先で、ジタバタしている。
「あのね、おじいちゃん、風邪はとても感染力が強いから、口移しでお薬を飲ませるなんて、いけないわ。」
 かすみが、おっとりとたしなめる。
…そんな、問題じゃあねぇと思うけど。
「熱をさげてやらないと、あかねちゃんがかわいそうじゃアッ。」
 尚も八宝斎は食い下がる。
「確か、お医者様が高熱が続くようならって、座薬をくださっていたわね。冷蔵庫から取ってきましょうか。」
 そう言って、のどかは出ていった。
「じゃあ、わし、あかねちゃんに座薬をいれてあげるうっ。」
…なっ、なにぃー!
 八宝斎のとんでもない暴言に、その場に居た天道家の人々は全員一瞬にして固まってしまった。
 玄馬など「げげっ!」と書いた看板を抱えたまま、白目をむいている。
「な、何てこと言うんだよー。このエロジジィ!」
 声を荒らげて、乱馬は今度は両手で八宝斎を畳の上に押さえつけた。
「おじいちゃん、座薬って、案外入れるの難しいのよ。」
 かすみがまた、オオボケを言っている。
…だ、だから、そんな問題じゃあねって。
 乱馬に押さえつけられて、八宝斎は畳の上でもがきながらも、懲りずに更に暴言を吐き続ける。
「さては、乱馬、お前があかねちゃんに座薬を入れてやりたいのだなあっ!このすけべっ。」
 尚も、叫び続ける八宝斎に乱馬は
「て、てめぇと、一緒にすんじゃねぇ。」
 われを忘れて、怒鳴ってしまった。

 こうなると、暴言が暴言を呼ぶ。
「あっ、乱馬くん、赤くなってる。さては、変な想像してるわね。」
 ニヤニヤしながら、なびきが続けた。
「いいんじゃない、許婚なんだし。」
 玄馬パンダは「ヒュー、ヒュー」と看板にかいて、ニヤニヤしているし、早雲は早雲で
「乱馬君、お願いするね。」
 などと、ふざけたことを言っている。
「おじいちゃんより乱馬君のほうが適任ね。」
 かすみまでオトボケを言いだした。
「はい、乱馬、お願いね。」
 のどかが薬袋を差し出した。

…なんなんだよぉっ!

 困惑なんていう生易しいものでは無かった。
 天道家の人々の暴言に乱馬はあきれ果ててしまった。そして、つい、八宝斎を押さえつけていた手が緩んでしまったのだ。
 一瞬乱馬に隙が出来たのを八宝斎が逃す訳がない。八宝斎はするりと乱馬を振りきった。そしてのどかが持ってきた薬袋を奪うと、
「あっかねちゃーん。」
と叫びながら一目散にあかねの部屋に向かって走りだした。
「あっ、こらっ、待てぇーっ!」
 八宝斎の好きにはさせるものかと、乱馬は必死で後を追いかけた。
 
「あっ、待ちやがれこの野郎っ!」
 飛び出した八宝斎を乱馬は、慌てて追い駆けた。
 何がなんでも、このまま放っておくすべは無い。腕ずくでも、取り押さえなければあかねの身が危ない。
 そんな、こっちの心配を他所に、八宝斎のジジイはやたらに元気にはしゃいでいる。
「あっかねちゃーん。待っててねー。」
 などとふざけた事を口走っている。
 
 天道家の茶の間を、縁側から抜けて、玄関にある階段へと、二つの影はドタバタと走り出した。廊下は左へ、右へと曲がりくねっている。壁にぶつかりそうになりながらも、乱馬は前へ進んで行った。このような場面では圧倒的に背の小さい身軽な八宝斎の方が有利だ。
 玄関への曲がり角を曲がるか曲がらないかした時、前方で
「げえっ。」
 という八宝斎の声がした。と同時に、八宝斎が押し戻されてきた。慌ててその固まりに当たらないように、とっさに乱馬は左側へ避けた。
 どすん。
 鈍い音がして、振りかえると、白目を剥いて八宝斎が倒れていた。
 訳がわからずに、玄関先を見ると、まわしを締めた大きな豚がどよよんと突っ立ている。勝錦だった。
「あのう…。」
 豚の影から、控えめな女性の声がした。雲竜あかりだった。
「忘れ物をしたものですから…。」
 あかりが言い掛けると、 
「ああ、これでしょう。」
 後ろでかすみの声がした。
 乱馬が振りかえると、いつのまにか、天道家の人々が玄関先に集ってきていた。
 かすみは明太子だのからしレンコンだのとんこつラーメンだの、いっぱい両手に抱えていた。
「そうです。今日、良牙様が私に北海道のお土産だと言ってくださったのですが、そそっかしっくて、忘れて帰ったんです。よかった。」
…なにが、北海道の土産だよ。あの方向音痴が。全部、九州方面の名産物じゃねえか。
 乱馬は溜め息をついた。
「家にも同じ物を置いて行ったわよ、良牙君。本当に律儀な人ね。」
 かすみはにこにこして言った。
「あのう、それで、良牙様は…?」
 あかりが問い掛けてきた。
「あれっ、一緒に帰ったんじゃなかっの。てっきりそうだと思っていたんだけど…。」
 なびきがそれを受けた。
「いいえ。乱馬様知りませんか?」
 あかりは、乱馬に問い掛けてきた。
 天道家の人々は乱馬親子以外、Pちゃんが良牙と同一人物だとは知らないのだ。豚好きの少女、あかりは良牙の変身体質を知っている。知った上で、気に入って、良牙と付き合い始めていた。良牙は良牙で、あかりちゃんと良い雰囲気を作っているくせに、相変わらず、あかねにもゾッコンなのだった。

…そういえば、良牙の奴、夕食の時は確か一緒に居たよな。それで、かすみさんに風呂へ入れられそうになって、飛び出して行ったんだっけ。

 いくら、あかりが良牙の正体を知っていても、天道家の人々の前で明かす訳には行いかない。仕方なく乱馬は、
「さあ、夕方出ていったみたいだぜ。」
 と、とぼけるしか、仕様が無かった。
「そうですか…。」
 がっかりしたように、あかりは答えた。
「あいつの事だ。もしかすると、そこいらで迷子になって、さ迷っているかも知れねえから、帰りがけに注意しながら行ってみなよな。」
 慰めるように乱馬は続けた。
「わかりました、そうしてみます。夜分お騒がせ致しました。」
「いいや、こっちこそ助かったぜ、勝錦。」
 そう言って乱馬は、勝錦の逞しい身体を手のひらでトンとたたいてみせた。
 そうだ、八宝斎の暴挙を勝錦が止めてくれたのだ。あのまま、二階へ八宝斎が駆け上がりでもしていたらと思うとぞっとする乱馬だった。
「ブヒ―ん。」
 勝錦は答えるように雄叫びをあげた。
「今度の日曜日、良かったら、良牙君と一緒に打ち合わせに参加してね。こっちとしても、まともな人が一人でも多くスタッフに加わっくれた方が、マネージメントし易いから。」
 なびきがあかりに声をかけた。確かに、お嬢様然としていても、良牙を導けるだけあって、あかりは芯はしっかりしている。なびきが目を付けるのも当然だろう。
「今度の日曜日ですね。わかりました。」
「詳しい時間は、また、お電話するからね。」
 そういって、なびきはウインクした。
「はい、では皆様、おやすみなさい。」
 ぺこっと頭を下げると、あかりは勝錦にひょいとまたがった。玄関の引き戸を開けると
「はいよーっ。」
 と言って、勝錦を走らせ、帰って行った。

 あかりを見送った後、
「おっと、こいつを忘れたらいけないぜ。」
 そう言って乱馬は八宝斎に縄を掛けた。こうしておいても、ほんの気休めにしかならないことは、容易に想像できた。しかし、取合えず、ふん縛っておけば、しばらくはおとなしくしているだろう。
「座薬は冷蔵庫にしまっておきましょうね。」
 のどかがそう言って、座薬の入った薬袋を持って行った。

…このまま、こいつがおとなしく引き下がる訳はないよな。
 乱馬はふと思った。
 とにかく、修行で疲れ切った身体で八宝斎に対処するには少しでも休息を取った方がよさそうだった。乱馬は茶の間に戻らず、そのまま二階へ上がろうと、階段の方へ進んだ。
「あら、乱馬君、もうお休み?」
 かすみが、聞いてきた。
「ああ、なんか、疲れたから先に休みます。」
 そう言い残して、乱馬は階段を上がって行った。
「ふわあ、眠いぜ…」
 アクビがついて出た。
 多分、夜中に人悶着あると踏んだ乱馬は、休息を取ることにしたのだ。それは的を得た行為であった。
 階段を上がりきると、乱馬は、あかねの部屋の扉を一瞥した。
「たく、心配掛けやがって…。」
 そう呟くと、自分の根城に入っていった。

 しかし、よもや、物凄い出来事が、わが身に振りかかってくるとは、露も思わぬ乱馬であった。乱馬の受難は始まったばかり…



 ほとんど元ネタのまま引っ張ってきました…
 この先に続くのが初期作品集掲載の「早春の夜想曲」に改作した風邪ネタの元ネタです。
 散々悩みましたが、ほぼそのままいくことにしました…表現ギリギリのお下劣ネタが炸裂しますので、お目汚しになることは確実です…
 なお、この作文をしていた当時、インフルエンザが蔓延しており、私は家族の看病でヘトヘトだったので、こんな阿呆なプロットが出来上がったのです。
 なお、この話、高校三年の二人に比定して描こうと思います。元ネタの膨大なプロット(手書き)があるので、仕上げたら、一体どのくらいの長編になるのか、書いている当人もわかりません…。
 気長にお付き合いくださいませ。


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