淡き春のプレリュード#1
一、
やっと、帰りついた天道道場。
乱馬は、父、玄馬と、久しぶりに春山へ修行に出かけていた。
鈍りきっていた、体には、春山の修行は正直、少しこたえていた。天道家に身を寄せるようになってから、以前の踏ん張りが無くなっているような気すら感じられる。
それを打開しようと思い立った修行だった。思うように成果があがったのか、あがらなかったのか…。
父も相当参っていたようで、パンダから元に戻るのも忘れて大きな体を、ずりずりと引きずりながら後ろを歩いてくる。
一週間ぶりに天道家の門をくぐり抜けると、ふううっ、と乱馬は大きくため息をひとつ、吐いた。
と、その時だ。晴天をつんざくような、怪音が、道場の方から、響き渡ってきた。
「ぎぎぎぎぎぎーーーーっ。がががががーつ。ごおおおおおーっ。」
どんな擬態語でも形容できない、轟音が、疲れた耳に突き刺さってきた。それも、一つではなく、複数の響きを持って。
後ろでは、父のパンダがすっ転ぶ鈍い音が聞こえた。疲れきった体に、怪音の響きが相当こたえたようだ。
「な、なんだあっ?」
ドサッと重いリュックを地面に投げ出すと、次の瞬間、乱馬は、道場に向かって、駆け出していた。
締め切られた、道場の重い扉をこじ開けると、一瞬、乱馬は固まってしまった。
そこには、天道家の人々が、あろうことか、思い思いの楽器を手に、無心で音を奏でていたのだ。
「あら、乱馬くん、お帰りなさい。」
最初に乱馬に気付いて、声をかけたのは、長姉のかすみだった。
「みんな、何やってるんだよ?」
大方、天道家には似つかわない、楽器の怪音の洪水に、目を丸くして、当然沸き起こる素朴な疑問を投げかけた。
「これには、いろいろ、訳があってなあ。」
道場の主、天道早雲が、頭を掻きながら答えた。
「実は、我々に、演奏会の出演交渉があってなあ、みんなで、出ることにしたんだよ。」
「演奏会って、みんな、何がやれるんだよ。そんな腕の演奏を聴きに来る物好きな客がいるのかよ。」
呆れたように言い放つ乱馬に、次姉のなびきが答えた。
「演奏会って言っても、私たちの演奏を客に聴かせるなんていう無謀なものじゃないわよ。まあ「格闘オーケストラ」がメインプログラムになる訳ね。ギャランティーも、なかなか良いのよ。貧乏な我が家にはもってこいの美味しい話なの。」
なびきの話はこうだ。
何でも、地域の文化の活性に役立てるためという、お役所の音頭で、暁交響楽団(以後A響と略)とかいうオーケストラが名曲コンサートを催すこととなった。
でも、只のオーケストラコンサートでは、面白くない。主催者側の要望で音楽とスポーツの両側面から芸術と格闘美を見直す面白い試みを取り入れてみることになった。そこで企画されたのが「格闘オーケストラ」だ。そして「格闘」と名が付くのならばと、数々の格闘家が一同に集まる我が天道道場とその町内に出演交渉が来たらしい。
「なんてくだらねえ企画を考えつく奴がいるんだよ!」
話をきいて、思わず乱馬は呟いた。
「面白いではないか。武道家たるもの挑戦は受けて立つべし!」
気配に気付いて後ろを振り返ると、玄馬がそう書かれた看板をかかげて立っていた。
「まっ、そんな訳だから、明日までに何でも良いから、好きな楽器を選んでおいてね。そう、出きれば弦楽器か打楽器ね。管楽器はA響でだいたい揃うみたいだから。」
そう言い放って、なびきは向こうへ行ってしまった。かすみも早雲もそそくさと、楽器選びに散って行った。後ろの親父パンダも、後に続いた。
いきなり、楽器を選べと言われても、乱馬は困惑するだけだった。
なびきの説明で天道家に何が起こったのか分ったものの、まだ、完全に事態が把握できた訳ではない。
道場の中を見渡すと、天道家に住みついている人々と、その周りを取り巻く連中が、居るわ居るわ。皆、手に思い思いの楽器を持って、選択にいそしんでいた。ある者は真剣に、ある者は微笑みながら…。
乱馬は道場の扉あたりで立ち尽くしたまま、皆の様子をしばらくぼんやりと見つめていた。
「何ボサーっと突っ立てるんだ乱馬?」
良牙だった。手にはヴァイオリンを抱えている。
「なんだよ、おまえも参加するのかよ。」
「当たり前だ。おまえも武道家の端くれなら、参加して当然だろうが。ははあ、おまえ、音痴なんだな。情けない奴め。」
「うるせえや。おまえ、その手に持ってるのはヴァイオリンかよ。そんなもの弾けるのかあ?」
「ふっふっふ。これだから音楽に素養の無い奴は困るんだ。」
余裕のある笑みを浮かべて、良牙が言った。
「なにおっ。じゃあ、おめえにはあるのかよ。その、音楽の素養っつうやつがよ。」
良牙の態度に少しむっとなって、乱馬は食い下がった。
「これが、ヴァイオリンに見えるから、おまえには、素養が無いって言ってるんだよ。これは、ヴァイオリンじゃあなくって、ヴィオラだ、ヴィオラ。」
勝ち誇ったように良牙は言った。
そういえば、ヴァイオリンにしては、良牙が小脇に抱えている楽器は大ぶりだった。
「ちぇっ、いい気なもんだぜ。で、なんでおまえがヴィオラなんて抱えてんだあ?」
少し声が高くなって、乱馬は聞き返した。と、
「良牙様は私と一緒に弾いてくださるのです。」
良牙の後ろから、控えめな声がした。見ると、声の主は雲竜あかりだった。一応、良牙の彼女だ。
「あかりちゃんまで出るのかよ。」
「勝錦も一緒です。」
控えめなその声に答えるように背中で、ブオッと鼻息が漏れた。そこには、マワシを巻いた大きな豚が立っていた。
「まあ、そう言う訳だ。おいっ、乱馬。音楽の素養が無くても、逃げずに俺様とステージの上で勝負しろよな。楽しみにしてるぜ。」
そこへ、シャンプーと婆さんがやって来た。
「ニイハオ、乱馬。私といしょに、楽器選ぶよろし。」
「婿殿、チェロなんてどうじゃ?」
「シャンプーはオラとくむだ。」
今度はムースがやって来た。
「乱ちゃんはうちと組むんや。あんたの好きにはさせへん。」
うっちゃんだった。
「右京様。」
その後ろには、小夏が居る。
「オホホホホホホ。乱馬様は私とお組になりますのよ。」
今度は小太刀だ。
「早乙女乱馬、おさげの女は何処だ!隠し立てすると容赦はせぬぞ。」
やっぱり、九能まで…。
「シャーラップ、乱馬・早乙女。YOUを倒すのはこの私でーす。覚悟なさい。」
校長まで居やがる。
なんだか、雲行きが怪しくなってきたぞ。
ばしゃっ!
そこへ、誰かが水をかけた。
「らんまちゃ〜ん。これを付けて楽器を弾くのだ。」
八宝斎のじじぃだった。
「うおぉーーーーーーーっ。おさげのおんなあっ。」
いきなり九能が抱きついてきた。
「うえーーーーっ。よるなーっ。」
らんまが悲鳴を上げると、それを合図に
「わたしの乱馬に何するね。」
「乱馬様は私のものですわ。」
「いいや、うちの許婚や。」
「シャンプーはおらの嫁じゃ。貴様には渡さん!」
「おさげの女、会いたかったぞ。」
「ぶらじゃーっ、つけてくれ。」
「こりゃ、ハッピーみっともない。」
皆、口々に好き勝手叫びながら、いつもの乱闘が始まった。
「うーーーーっ、もお、やってらんねぇぜ。」
らんまは、逃げにかかった。もうこうなると、手がつけられない。逃げるのが最良の方法だった。
出口の扉を乱暴に開けると、らんまは一目散に、母屋のほうへ、駆け出した。
駆けながら、らんまはいつもと違うことに気がついた。
いつもなら、
「あんたが、情けないからよ。」
と、乱闘になると、真っ先に乱馬を大声で罵る奴が居るのに…。
声だけじゃなく、時々、肘鉄まで飛ばしてくる奴。すぐヤキモチを妬いて、乱馬への想いの丈を拳にこめて思いっきりぶん殴ってくる奴。色気もかわいげもねえ、跳ねっ返り娘、そう、あかねが居ないのだ。
「そういえば、あいつ、道場に居なかったな。」
二、
さっき、置きっぱなしにしていたリュックを拾い上げると、勝手口の方へ歩き出した。
台所で人の気配がした。
「まさか、あかねの奴、飯作ろうなんて、無謀なことやってんじゃねえだろうな。」
ドアノブに手をやりかけて、一瞬らんまはたじろいだ。
あかねの味音痴は相当なもので、毎度のことながら、乱馬は酷い目に合わされていた。勿論、彼のみならず、天道家に巣食う人々は、あかねの料理には、ほとほと手を焼いているのだった。如何にして、彼女の不味い手料理から逃げおおせるか…これは、天道家の人々の課題の一つになっている。
ドキドキしながら、ドアを開けると、台所に居たのはあかねではなく、母のどかだった。
家をうっちゃん、シャンプー、小太刀に壊されてから、乱馬の母もまた、天道家の住人になっていた。
「あら、お帰り、乱馬。もうすぐ夕食だから、汗でも流してらっしゃいな。」
母は、流しの前に立ちながらそう、息子に話しかけた。
台所の中にあかねを発見出来なくて、正直らんまはホッとした。
(まずは母の助言どおり、一風呂浴びて、男に戻ろう。)
そう思った瞬間だった。
いきなり、母がらんまめがけて、手にした包丁をを振り下ろしてきた。
「らんまーっ、あなたまた、そんなモノを身につけて。男らしくない!」
なんの事かわからずに、後ずさりするとしようとして、らんまは、自分の体に巻きついている白い布切れに気付いてぎょっとなった。
チャイナ服のうえに、なんと、真っ白なブラジャーが…。
(チクショーっ、クソじじぃにやられたぜ。)
さっきの乱闘のドサクサにまみれて、八宝斎に、まんまと一本取られたのだ。こんな馬鹿なことをする奴はあのスケベじじぃ以外に考えられない。
「そこへ、おなおりなさい。性根をいれなおしてあげます。」
キンとした声でのどかが迫ってきた。だが、このままやられるわけにはいかない。
「誤解だよーっ。俺は、こんなモノ、身につけた覚えはねぇんだから。」
融通の効かない母から逃れるには、やはり、この場を去ることが一番だ。
「らんまぁっ!待ちなさい!」
後ろで、声を荒げる母を振りきって、台所から廊下に逃げ出した。
「まったく、人が疲れて帰ってきたっつうのに、何なんだよォ。」
こうなったら、早く男にもどらねば。
らんまはそのまま、風呂場に走りこんだ。
体の汗を拭って、湯船にざぶっとつかると、いつものように、「男」の体に戻った。
「ああ、ったく、ひでぇ目に合ったぜ。」
こうなると、愚痴の一つも口から出てくるものだ。湯船に体を浸らせると、ようやく本来の自分に戻れたような気がするのだ。
いつまで、このふざけた体質は続くのだろう?
早く、女とはおさらばして、まともな男に戻りたいと、風呂に入るたび思うのだった。
体を芯から温めて、一息つくと、いきなり良牙が、入ってきた。
「なんだよ、良牙。人が折角気持ちよく風呂にはいっているっつうのによぉ。」
さっき、道場で、「音楽の素養がない」と良牙にさんざん浴びせ掛けられたのを思い出して、乱馬は不機嫌そうに言った。
「別に、おまえにに用など無い。」
乱馬を一瞥すると、良牙は、いきなり、水を被った。すると、彼は黒い子豚に変身した。
「てめぇ、また、あかねの懐に潜り込むつもりかよ。」
乱馬は、そう言うと同時に、湯を黒豚に浴びせ掛けた。
「何しやがる。」
黒豚はまた良牙に戻ると、乱馬に食って掛かった。
「何って、おまえが、下司な下心背負って、黒豚に変身することくらいわかってらあ。おまえには、あかりちゃんていう、もったいないくらい可愛らしい彼女が居るんじゃあねえのかよ。えっ、良牙くん。」
湯船の端をつかみながら、乱馬は続けた。
「何も今更、あかねなんていう、可愛げのない女のとこに、尻尾振って、甘えに行かなくてもいいだろっ。」
明らかに、乱馬は不機嫌だった。
あかねの傍に、たとえ黒豚Pちゃんといえども寄せ付けたくないのだ。ましてや、黒豚の正体が良牙ならなおさらだ。もっとも、乱馬は良牙だけではなく、自分以外の男は、誰一人として、あかねに寄せ付けたくない。
「うるさい。四つ股がけのおまえにとやかく言われる筋合いは無い。」
「誰が、四つ股がけだよ。」
「おまえだ。」
「おれがいつ、四つ股なんてかけたんだよ。おれは、そんな、男じゃないぜ。」
「じゃあ、さっきの体たらくは何だ?シャンプーも右京も小太刀もみんなおまえを取合って大騒ぎしてたじゃあねえか。」
「あれは、あいつらが勝手に騒いでただけだろうが。おれには関係ねえ。だいいちおれは…。」
そこまで言って、乱馬は急に口をつぐんだ。
良牙に対して、必要以上にムキになっている自分に気付き、先の言葉を飲み込んだのだ。
一瞬の間があいたとたん、良牙はまた水を被ると、一目散に風呂場を飛び出して行った。
「あ、こら、待ちやがれ。良牙。」
乱馬はあわてて湯船を跳び出て、良牙の後を追いかけようとした。
「うわあっ。」
風呂場を出ようとしたとたん、何かにボヨンとぶつかって、乱馬は後ろに跳ね返された。と、次の瞬間だった。
バゴンっ!
鈍い音がして、立ち直る隙も無く、乱馬は床に転がっていた。
「父さんは、そんなハシタナイ子におまえを育てたつもりはありません!」
そう書かれた看板で、乱馬は思いっきりパンダ親父に、後頭部をドどつかれたのだった。
三、
夕闇があたり帷を降ろす頃、道場から響いていた「怪音」も止んだ。
天道家の住人以外の者どもは、それぞれのネグラを目指して帰って行った。
天道家の住人たちは、道場を片付けると。皆、一同に茶の間に集まってきた。そう、夕餉の時間だ。ここの住人たちは、茶の間に会し、賑やかに食事を摂るのを常としていた。
今日も、当主の早雲をはじめ、居候の玄馬と八宝斎、あかねのペットのPちゃん(実は良牙)乱馬がそれぞれの所定の席に着いた。料理は、次姉のなびきとのどか、かすみによって、次々と台所から運ばれてくる。
乱馬は、左隣のあかねの席にチョコンと座っているPちゃんを横目で睨みつけた。さっきの風呂場での良牙とのやりとりが尾を引いているのだ。
そこへ、料理を運び終えたかすみがひょいっとPちゃんを抱き上げて、自分の席に連れて行った。
「ぷぎっ。」
Pちゃんはかすみの膝の上に据えられて、困惑して鳴き声をあげたのと、早雲が口を開いたのはほぼ同時だった。
「みんな、今日はお疲れ様だったね。今日で、だいたい自分のやりたい楽器も決まったようだし。後で各々、やりたい楽器とペアを組む人を聞くこととして、まずは腹こしらえだ。」
「そうそう、腹が減っては戦が出来ぬ。いっただきまーす。」
玄馬が、続けて言うと、会したみんなはいっせいに「いただきまーす。」と口々に言い、箸を持って、食事にかかった。
「……。」
Pちゃんが退いた後の左隣の空間が気にかかって、乱馬は箸が進まなかった。いつもならそこに、あかねが座っているはずなのに…。ぽっかり空いた空間に、落ち着かず、そわそわしている乱馬の様子を見て、
「なんだ、乱馬。食わんのか?」
最初に玄馬が切り出した。
「ははあー、あかね君が居ないのが気にかかるんだな、乱馬。そう言えば、今日はあかね君の姿を見かけないが、どうかしたのかね、天道君。」
乱馬の投げかけたかった、疑問を玄馬が代弁した。
「あかねなら、自分の部屋でねているわよ。」
なびきが即座に答えた。
「どっか、具合が悪いのか、あかね君。」
玄馬が聞き返すと
「あの子、珍しく、風邪をひいて、ねこんじゃったのよね。高熱出して、食事も咽喉が通らないみたいなの。元気だけが取り柄なのに…。」
箸を動かしながら、なびきが答えた。
「まだ、治らんのか、あかねちゃんは。心配じゃのう。どれ、後でわしが見舞ってやろうかのう。」
八宝斎が言った。どうやら、あかねは臥せっているらしい。
「おじいさん、うつったら大変だから、治ってからにしてくださいね。」
とかすみがおっとり口調で答えた。
「そうよ、もう若く無いんだから、これ以上病人が増えても看病する方が困るんだからね。」
となびき。
そっか、あかねの奴、病気なのか…・。
茶碗の中の白いごはんを見つめながら、乱馬は、みんなに気付かれないように、心配そうに小さく呟いた。
つづく
一之瀬作品の出発点です。
この作品から私の乱馬×あかねの二次創作が始まりました。
このリレー作品がなければネット同人の世界へ足を突っ込むことも無かったかと…。というか、呪泉洞そのものが存在しなかったかと…。
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