乙女心とヴァイオリン #3

六、

 神前が、道場であかねと乱馬相手に、赤くなったり青くなったりをやっていた頃、居間では、川出が少しイラついていた。
…遅いなあ!充はっ。一体、何をやっているんだ?
 胸中はイラついていたが、無論、それを一切顔には出さず、都から派遣された二人と、今後の活動の予定等を検討したり、天道家とのスケジュールの調整をしたりという、事務的な話し合いを、全くの無表情、ポーカー・フェイスでこなしていた。
 どうやら、きわめて計算高く、損得勘定に長けているらしい天道家次女のなびきと、あくまで冷静沈着、全く無駄口のない川出の話し合いは淡々と進んでいった。
 時折入る、なびきの鋭い質問に、都の職員の二人のオバサンは、少々ひるみながらも、こういう場面を想定していたのか、何とか答えをだし、その場をクリアしていった。
 端から見れば、何だか、ケンアクなムードが漂っているかのようだ。並みの人間ならば、その雰囲気を気まずく感じ、いたたまれなくなってしまうのだろうが、如何せん、ここは天道道場だ。居並ぶ天道道場ゆかりの人々は、平然と其れを見ている。
 こういう話し合いはなびきに限るといわんばかりの、父親早雲は、さっきから“いやあ、そうですなあ”とか、“全く、全く”という、イミ不明の合いの手しかいれないし、長女のかすみ、謎の豚を連れたあかり、和服美人のヨソの奥さんのどかはニコニコしているだけである。おまけにあろうことか、どうやらその話し合いに退屈しきったらしいパンダは縁側にでて、既に話し合いを放棄し、{ぱあっふおー}とか言って、茶なんぞ啜っていたりする。
 神前であれば、とっくにこの雰囲気に飲まれ、胃の一つも調子を悪くしていたで有ろうから、中々戻ってこない彼にイラつきながらも、かえって好都合だったとも川出は思っていた。
…しかし、
と、川出は思った。
 目の前で渡された書類に目を通している天道なびきという、この小娘。どうも気に入らない。こういう計算高い、しっかりモンはきらいというより、寧ろ苦手だった。
 その当のなびきが、ふと顔を上げ、川出に言った。
「相棒が遅いから気になるんじゃないの?」
「いえ、別に」
 どういう訳だか知らないが、なびきがちょっかいを掛けてきた。
「いえ、結構。それともこちらのお宅は、初めて来た客を、客が探し出さねばならないようなお宅なのですか?」
 そのセリフを、イヤミたっぷりに投げつける。
 なびきは、フフンという顔をした。
「別に何てことはない、見ての通りのビンボウ道場ですけど?ご心配かと思って。」
 なびきのちょっと人を小馬鹿にしたような顔つきを、川出の険しい殺人光線と神前が称した視線で見返したが、当のなびきにはちっともこたえていなかった。
 川出はまだまだ理解不足だったのだ。ここに集まっているのは、パンピー(一般ピープル)ではないということを。川出の殺人光線ごときにひるむような奴は、この天道道場での日々の生活を送ってはゆけない。彼のクールな態度と眼差しにビビるのは一般社会生活を営んでいる人々である。もっとも、だからと言って、それで怯んだり、己の自信を喪失してしまうような柔な男でも、川出はなかった。
…ふん、いいだろう。その態度。そっちがそうなら、受けて立とうではないか。たかが、パンダや豚ごときにしっぽを巻いたと有っては、不良校の音楽講師でならした名が廃るからなっ!それにしても、遅いっっ、充は…。
 天道家の毒気に当てられ、少々思考が散漫になっているのに気がつかない川出であった。実はもう、その時点で天道家の面々にすっかり飲まれていたといっても過言ではない。

なびきと川出が、ヘビとマングースのような、まさに天敵同士の睨み合いと言う他ない雰囲気を醸し出しているのを見ていた、長女のかすみは、ポンと手を打った。
「本当に、和気あいあいねえ。仲良くなれていいわねえ。おばさま、せっかくですから、お近付きになれたしるしに、お夕飯でも召し上がっていただきましょうよ。」
「本当、それがいいわ。」
 和服美人ののどかも、ポンと手を打った。
「神前くんが戻れば、退散しますので、そう言ったお心づかいは、無用に願います。」
誰がこんな訳のわからんウチのメシなど食うものか、というイミのせりふだったのだが、かすみにサラリと無視された。
「あらあ、ご遠慮なさらずに。あかりちゃん、あなたも手伝って。」
「はい」
どうやら、人のハナシをちいとも聞いていないらしい長女のかすみは、のどか、あかりと三人で嬉しそうに台所へと消えた。
 内心、舌打ちしながらも、川出は、それでもとにかくハナシを片づけてしまおうと、そちらに意識を集中した。
「…ということでですね、楽器は都に保管されているものをお貸しする手筈になっています。この楽器は、そんなに良いモノではないのですが、もう不要なものばかりなので、少々壊れても構いませんから、初心者の方にも緊張しないで使っていただけると思うのですよ。」
 向井と名乗った都職員が話し終えた。
「それって、タダ?」
「は?」
 なびきの言葉に、向井はパシパシとまばたきした。
「お貸しするということは、レンタル料をお支払いしなくちゃイケナイのかしら?」
「はあ…」
 向井と酒野は、何やらヒソヒソと相談をぶってから、なびきと川出の顔を交互に見比べながら口を開いた。
「いえ、これは、都が都民の皆さんからもう、使ってない楽器を寄贈していただいたものですから、レンタル料は不要です。遠慮なくお使いくださいね。」
「そうこなくちゃ。ウチはビンボー道場ですもん。優雅に楽器にお金なんかかけられないわあ。」
 視線こそ、向井と酒野の方に向いていたが、なびきの言葉の“トゲ”は川出に向いていた。
「楽器は無料でお貸しいただくとして、やはり、ヴァイオリンであれば、弦や松脂といったものや、その楽器それぞれで付属のパーツや、メンテナンスに必要なものは揃えていただかなければ楽器として音が出ませんので…」
 あくまで“タダ”にこだわるらしいなびきに、川出は、そうはいかんぞと、トゲを向けてやった。
「あらっ、そういうのって、暁の方達が分けてくださらないの?」
「は?」
「暁響の人達って、普段からそういうのを使っているだろうから、少し私たちにももらえるのかなーって…」
 川出は、一呼吸おいた。怒りに我を忘れる姿なぞこの家の連中に見せてはならない。
「確かに…、お貸しできるものは極力そうします。しかし…」
 そーばっかりはいかんのよと、きっぱり言い切ろうとした川出の言葉は、なびきによってぶった切られた。
「そーよねー、そーよねー。だーーって、楽器ってそれなりにお金かかるもんねー。いくら練習するからって、本番当日が終われば、それでおわりですもんねー。ムダなお金は、ビタ一文つかえないわよねー」
 ウンウンと満足げにうなずくなびきに、さしもの川出も、「第一ラウンド終了、判定3−0で
なびき、のゴングを聞かざるを得なかった。
「ま、まあ、そういう細かい点は、その都度、話し合いながら、ケースバイケースでということで…。」
 川出を庇いつつ酒野は、そう言ってなんとかその場を繕った。
「それでですね、その楽器を、都庁から、ご都合のよい保管場所へと移したいと思うのですが、こちらはこの天道道場でよろしいですか?」
「そうねえ…。保管料いただけるのなら」
「ほ、保管料?」
「たいして広くもない、ビンボー道場ですものねえ、ウチは。」
ふっと、遠い目をしたなびきが言った。
「わ、わかりました。前向きに善処させていただきます。」
 向井は汗をかきかき答えた。主婦の感覚で研ぎ澄まされた金銭感覚も、図々しさもなびきの比ではなかった。
「で、暁交響楽団ってはどちらに?……川出サン?」
「え?あ、ああ失礼。」
 思わず、ちょっとイッてしまっていた川出は、額に落ちた髪を指で掻き揚げ誤魔化した。
「こちらの方は…そうですね、いつも使っている練習場には大してスペースがありませんので、僕たちの家にでも運んでいただければ。」
「ご自宅でよろしいんですか?」
これは若い男連中の家をノゾくチャンスかもしれないと、酒野は上ずりきって尋ねた。
「ええ。大量でなければ」
「はい、はい、はい。承知しました。後日、ご都合のよい時間に搬入させて頂きむわすっ。」
 ここに至って、酒野は、すっかりうかれていた。
「おたくって広いの?」
また、なびきが川出にちょっかい掛けてきたが、小娘に目くじらたてることもあるまいと思い、答えてやることにした。
「ムジカハウスと呼ばれる、うちの常任指揮者の日向昇の別宅なんですよ。若い音楽家の卵など数名が共同生活している古い洋館です。勿論、神前くんも一緒です。」
 ふふんと鼻を鳴らしながら川出は言ってのけた。
「なーんだ。要するに「居候」ね。」
 そうあからさまに言われると、グウの音も出ない。
 どっちにしても、旗色が悪くなったところへ。神前が乱子と戻ってきた。

「あかねは?」
 なびきが問うと、
「ああ。まだあいつ本調子じゃねえからな…。二階へ上がったよ。」
 とらんまが答えた。
「ふーん。やけに優しいじゃん…。」
 なびきはふふふとらんまに微笑みかけた。うるせえといった目線をらんまは彼女に返した。
「お、おい…。充。その服は?」
「あ…。これね、乱子ちゃんに借りたんだ。」
「へえ…。なかなか似合ってるじゃないか。」
 好奇の目で川出が見た。男物のサイズは神前にぴったりだった。
「あらあら、神前さん、良く似合ってますわね。」
 ワンテンポ遅れてのどかがのほほんと言ったほど、似合っている。
「そうね…うちに男物って乱子ちゃんのくらいしかないもんね…。」
「なびきっ!」
 らんまはなびきを制した。
…たく、何口走りやがる…俺が男っていうのは内緒だろうがっ!。
 確信犯に近いなびきを牽制する。

「さて、充、いえ、神崎君が帰ってきたところで我々は退散します。」
 これ以上居られるかといった口調で川出が言った。
「そうそう、明日、あかねさんと乱子ちゃん、家に来ていただきますんで…。」
 神前が小声で川出に言った。
「あん?何しに…。」
 川出はブスッとした表情で神前を見返した。
「お二人にヴァイオリンのレッスンを受けていただこうかと思って…。」
「何ぃ?本気か?おまえ…。」
「ええ…。せっかくですから、こちらの方にもこういう機会を…。何か支障ありますか?」
 川出はやれやれといった表情で神前に言った。
「俺はかまわねえが…。マエストロどう言うかなあ…。」
 川出は苦渋の顔を神前に向けた。
「なんとかなるでしょう。マエストロは、別にあそこに住んでいらっしゃるわけではありませんし…。」
「何かあったら責任持てよ…。」
「ええそれは…。」

 天道家の面々には何が何やら事の次第が見えなかったが、どうやら何か訳ありのことがあるらしい。
 こそこそと二人は後ろでやりあった。
 パンダはそれを流し目で見ながら茶をすすっている。

「じゃあ、明日、待ってますからね。時間は…朝の十一時にしておきましょう。」
 神前はらんまに言った。
「それから…。明日、日曜練習がある日なので、六時に、こちらの代表の方、第一回のレクチャーへいらしてくださいね。」
 酒野がにこにこしながら言った。
「んじゃあ、あたしが行くわ。」
 なびきが言い放った。
 おまえがくるのかという視線を川出が投げかけたが、なびきはふんと言う具合に跳ね除けた。

 バトルは水面下でもう既に始まっていたのかもしれない。

 その頃あかねは、自室で、ヴァイオリンのケースを開けていた。
 明日これに触れると思うと、心は時めく。
 いつか弾いてみたいと思っていたメロディー…。未知の世界へ入るドキドキわくわくが彼女を夢見心地にさせる。
 おまけに、乱馬も同行してくれるという。
 彼の心遣いも少しばかり嬉しかった。

 …明日…

 あかねはうっとりと空を眺めた。 
 春風が優しく通り過ぎる。

…晴れるといいな…

 お天気とヴァイオリンは関係がなかったが、あかねはふっと空に向って微笑みかけた。

…きっと晴れるね…

 そう呟きながら、あかねはそっとケースのフタを閉めた。
 



 乙女心とヴァイオリン・完




一之瀬の音楽業界用語の基礎知識(その2)
マエストロ…多くは偉大な指揮者のこと。
日本語に直訳すれば「巨匠」です。
多く、アマオケでもプロオケでもその団にかかわりの深い常任指揮者のことをこう呼ぶようです。
ソリストのことをこう呼ぶこともありますが…
もちろん、仲間内で指揮をとる人間にもユーモアを込めてこれを使うこともあります(笑
マエストロ○○氏…とか言って。



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