乙女心とヴァイオリン#1
一、
「ああ、ここだよ。「天道道場」。はー。やっと着いた。」
四月はじめの土曜日。格闘オーケストラの打ち合わせをするべく、この町にやってきた男連れ二人。暁交響楽団のコンサートマスターの神前充とチェロ奏者の川出高弘だった。
まだ、四月の始めというのにポカポカ陽気のこの日。額に汗が滲み出ていた。
「たく…。なんで、隣町だっていうのに、こんなに時間がかかっちまったんだ…。」
川出はホッと溜息をつきながら隣の神前を見た。
「やれやれ…。道を尋ねた相手が悪かったみたいですね。」
神前はそれに答えて見せた。
「うん。そうだな。しかし…あの彼は大丈夫かな?いつの間にかはぐれてしまったみたいだけど。」
細面の神前と比べて、川出はがっしりとした体格だった。ぱっと見た感じでは武道を嗜んでいそうな体つきで色が浅黒かった。
「まあ、大丈夫じゃないですかね…。彼の話っぷりじゃあ、ここの関係者みたいな口の利き方でしたから。」
神前は汗を拭ったハンカチをポケットに仕舞いながら答えた。
「それにしても、さっきの男の子、変な風体だったなあ…。赤い傘とリュックを背負って。」
「大方、ここの道場のお弟子さんかなにかじゃないの?それはいいとして、すっかり時間を過ぎちまったからさっさと入ろう。きっと、待たせてるぞ。」
川出は先に立って、天道家の門を潜った。
「へえ…。今時珍しい引き戸の家だ。都会の真ん中に道場付きのお宅なんて。豪勢だなあ。」
神前は物珍しそうにきょろきょろと見回した。
「ほら…。行くぞ。充。」
「ごめんくださーい…。」
野太い声で川出が玄関先で声を張り上げた。こう云うときは、声が良く通る方がいい。神前も透き通った声色の持ち主であったが、バリトンの持ち主、川出には叶わない。
「ごめんくださーい。」
川出は間髪をおかずに、二声目を張り上げる。
「ハーイ。」
やっと聴こえたのか、奥でおっとりとした声が響いてきた。ややあってから奥から女性が出てきて応対した。
「暁交響楽団の方たちですね。お待ちしておりました。」
女性は待っていたと言わん口ぶりでにこにこと玄関先で二人を出迎えた。
「あ…。あの…。」
神前は髪の長い女性のおっとりとした雰囲気に飲まれて、思わず返答に詰まった。
「始めまして。暁交響楽団の川出と申します。こちらが、コンマス…あ、いや、コンサートマスターの神前です。宜しくお願いいたします。」
場数は川出の方が人生経験が少しだけ長い分、神前より長けていた。
「天道かすみです。お待ちいたしておりました。」
かすみは深々と頭を下げて二人を出迎えた。
「ほら…。うろたえてないで、さっさと靴脱いで…。」
川出は笑いながら神前を肘で突付いた。
「あ…。は、はい…。」
神前はドギマギしながら靴を脱いだ。
「さ…。皆さんお待ちかねですから…。どうそ。奥へ。お父さん、暁交響楽団の方々がお見えですよ。」
二人が脱いだ靴を丁寧に揃えてから、かすみは奥へと促した。
先を歩いていたかすみが、居間らしきところで立ち止まって襖越しに話し掛けた。
「おお…。こちらへ入っていただきなさい。」
中からとっつぁん声がした。
「さあ、こちらです。」
かすみはにこにこ、ほのぼのと二人を中へと導いた。
神前と川出は開けられた襖から中へ足を入れようとして、一瞬たじろいだ。足が思わず止まって固まってしまったのだ。
そう、部屋の中を見渡すと、そこには…。そこにはでかい図体をした白と黒のけだものがドデンと座布団に鎮座していた。
「な…。ぱ、パンダ?」
神前は思わす隣の川出を除き込んだ。肝の太い川出も声が出ずに目を瞬かせていた。
パンダはさも当然のような手振りで、「いらっしゃいませ」と書かれた看板をさっと上げた。
そこは一般人の二人には凡そ検討がつかないような異様な座敷だった。
…な、なんだ?この異様な空間は…。女の子達が多いのはいいとして…。何でこんなところに豚やパンダが偉そうに座っているんだ?…
川出も神前も声にだに出さなかったが顔が引き攣っていた。
「さあさ、どうぞ、お座りください。いやあ。わざわざおよび立て致して恐縮です。」
髭の生えた道場主にふさわしい人懐っこい親父がにこにこ笑っている。隣では平然とパンダがお茶をすすっている。
…パンダってお茶をすするのか?…
神前はじっとそれを見詰めながら進められるままに座布団へと腰を下ろした。
「あ、し、失礼します。」
神前は髭面の親父とパンダの正面へと座った。隣の川出もやはり、この空間の異様さを噛みしめているのか、随分シャチホコばっているのが伝わってきた。あまりじろじろと見詰めるのも失礼な気がして、神前は何もない風を装いながら、天道家の人々と対峙したのであった。
二、
全く、その部屋の空間は不思議だった。
神前と川出が座っている右隣には、何やらニコニコとやたら嬉しそうな太目の中年女性が二人。
その隣にはボブヘアーのさっき出た応対の女性、かすみより若そうだがしっかりものと言う感じのきびきびした女性。その隣にさっきのかすみ。対面には和服の人妻風美女。隣はロングヘアーのおしとやかそうな若い女性。これが不思議なのだが、その後ろにまわしをしめた巨大な豚が居る。豚のまえにロングヘアーの子と並ぶように活発そうな目の大きな若い女性。そしてその横にはおさげの赤いチャイナ服の女性。で、その隣にはなんだかやたらと小柄なシワッぽいじいさん。左隣にはヒゲのどうやらここの主らしい親父と、先ほどの豚より更に不可思議なパンダが座っているのだ。それも悠然と茶など啜って、二人にフフンと言う視線を送っている。
そんなたかがパンダの視線ごときにたじろぐ神前と川出だった。
小心者の神前はともかく、普段どんなことがあっても、たじろぐことなど滅多にない川出が呑まれている。びりびりとそんな不穏な空気が神前の鼻先を掠める。
…どうしよう!どうしよう!…
そんな声を出してしまいそうになる狼狽ぶりをぐっと堪えて神前は珍妙に座っていた。
最初はたじろいでいた川出も、数分経つ頃には腹が据わってきたのか、しっかりとした口調で口を開いた。
「はじめまして、暁交響楽団の主席チェロ奏者そして、楽団長の補佐をしております川出高弘と申します。こちらはコンサート・マスターの神前充です。今後しばらく、おつきあいを宜しくお願いいたします。」
さすがに年長者。川出は一呼吸置いて、じっくりとそう挨拶をした。
「いやー、ご丁寧に恐縮ですなあ。私がこの無差別格闘流天道道場の主、天道早雲です。いやいや、今後ともお見知りおきを。」
早雲がのほほんと挨拶をした。
「こちらのお二人は…」
と、早雲が二人並んで座っていた女性を紹介しようとすると、二人のうちの一人が待ってましたとばかりに身を乗り出し息せき切って言った。
「このたびの格闘オーケストラの実行委員をさせていただきます都の“青少年健全育成文化振興地域発展事業課”の私、酒野、と申しますっ。こっちは、同じく向井でございますっ。これ以後何かの折りには私たちがサポートに入りますっ。どーぞ、どーぞ、よろしく!!」
周りのみんなに噛み付かんばかりの勢いで言った酒野は、向井の手で引きずり戻され、
「落ち着かんかい!あほっ」
と、叱責された。この二人、雇われパートの都の回し者だった。
「と、いうことですなあ。」
早雲は、はっはっはっと笑うとその隣を示した。
「次女のなびきです。当天道道場側のマネージメントを担当します。」
なびきと紹介された娘はちょっと人を小馬鹿にしたように見えなくもない笑いを浮かべると、二人に言った。
「よろしくお願いしますね。そちらのマネージメントは?」
「いえ、こちらの方は団長の森井が担当いたしますが、仕事柄本日は失礼させていただいております。代わりに副団長の私とコンマスの神前がまかり通りました。」
「あ、そう。ま、誰がやっても、私は構わないんだけどさ。」
生意気な口調でなびきはそう言った。
…小生意気な小娘だな…。一癖も二癖もありそうな娘だ。…
ちょっとむっときた川出だったが、大人な分、言葉尻には出さなかった。
もっとも、なびきはなびきで、
…ふーん、コンマスの神前って方は可愛気がまだ有りそうだけど、このでこっぱち男、気に入らないなあ。なーんか、偉そうで。うふふ、なーんか弱みみつけようっと。」
などと、心で思っているのだから、どっちもどっちである。
早くも一瞬、目が合ったなびきと川出が電光石火、火花を散らしたのにも気づかず、早雲は紹介を続けた。
「これは、長女のかすみ。で、隣がよその奥さんののどかさん。で、こちらは、雲龍あかりさんとその飼い豚の勝錦です。」
…よ、よその、奥さん?飼い豚?
二人の頭には解決されない疑問符がどんどんと降り積もる。
早雲は、お構いなく、先を続けた。
「…で、こっちは当家の三女のあかねで、ああ、ちょっと、風邪をひいとりまして、これで失礼させてもらいます。で、こっちが、早乙女ら、らん、乱子ちゃんでして。隣は、師匠の八方斎先生で、こっちは、まあ、パンダですな。」
何とか、名前だけは分かったというだけの紹介だった。
川出たちは、頭の中で渦巻き星雲のように渦を巻く疑問の数々をこの際、無視して頭を下げた。
「あかね、もう、休んどけよ。ぶり返しても知んねえぞ。」
乱子と呼ばれた子がとんでもなく乱暴な口調だが、心配そうに、あかねに、声を掛けた。
あかねは、何か言いたそうに乱子を見たが、こくんと、うなずくと、神前たちに頭を下げると、部屋を出ていった。
あかねの後ろ姿をちょっとの間見送った神前が、なんとかこの妙な空間を何とかしようと、ついと、膝を乗り出した。
「とにかく、これから、よろしくお願いいたします。えーと、それでですね、今後の予定と言った所からですね、少し具体的なですね…」
柄にもなく事務的、且つ、現実的な話で態勢の立て直しにかかったときだった。
彼の鼻先に、八方斎と紹介されたいささか妖怪じみたじいさんが、ぬっと現れ、口を開いた。
「水を掛けたら、どうなるのかいの?」
「は?」
言われた事がわからずに、そう聞き返した神前は、いきなり水をぶっかけられた。
ばっしゃーーーん!!
「わ!わ!わ!」
「何を!」
神前を庇う暇はなかったが、かろうじて難を逃れた普段は喧嘩っ早い大柄の川出が怒りの蹴りを八方斎と呼ばれたじじいにいれようとしたその途端だった。
「てっめえー、このくそじじいっ!!客人になんてことしやがんだ!!誰でも水をぶっかけりゃ、ころころ変わると思ったら大間違いなんだよ!!」
と、いう罵声とともにらん子が八方斎を殴り飛ばした。
「だってー、だってー、こやつも結構イケるかと思ったんじゃー。女の子に変身できるとかのう…。」
激しく殴り飛ばされたにもかかわらず、そう言いながら起き上がった八方斎は乱子に何故か抱き着こうとした。
「お前がもうちーっと、ワシにやさしゅうしてくれればいいんじゃー。」
「こっのおー、エロじじい!!」
水を掛けられ呆然としている神前と八方斎を蹴り倒そうとした足をとめたままの川出。彼らを尻目にじじいと少女の大乱闘が始まった。
「あらあら、びしょぬれね。」
和装美人ののどかが何だか嬉しそうに言った。
「まあ、大変。神前さん、こちらへ。」
出来事自体に全く動じていないかすみは、びしょになった神前を風呂場へと連れていった。
「水も滴るいい男…か。」
なびきは楽しそうに写真を撮っている。
「い、いやあー、申し訳ありませんなあ。真の格闘家というのはえてして、奇行に走りやすく、はははは…。」
庭先に出てまでの乱闘を全く意に介さず、早雲は笑って、その場を誤魔化そうとし、パンダは茶を飲んでいる。
「……あ、い、いえ。」
…何が真の格闘家だ。このじじいと少女は一体何なんだ?…
頭の中ではもう五本くらい切れかけている川出は、無表情のまま、冷静さを保とうとしていた。
…本当にここの連中は…なんで僕が水なんか浴びせられなきゃならないんだ?…
神前は神前で、かすみに導かれてきしんだ廊下を歩きながら、顔が引き攣っていた。
神前も川出もそれぞれ思考回路が音を立てながら揺らめき始めた。凡そここに巣食う連中は常人には理解しがたく…。
が、振って沸いた災難は、まだ神前を捕らえて放さなかったのである。
つづく
登場オリジナルキャラクター
神前充(かんざき・みつる)=暁響のコンサートマスター、若きヴァイオリニストの卵・23歳・独身
川出高弘(かわで・たかひろ)=チェリスト兼某高校音楽講師・28歳・独身
酒野&向井=都の雇われパート、格闘オケ世話係。(モデルは南極堂さんと私です)
この部分の殆どの作文は、相方の南極堂さんのものです。
途中改作のため、私が描きなおした部分もありますが、概ねは彼女の原文です。
私と文体が違うので、わかると思うのですが…(笑
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