蒼き稜線  第二章  乱馬編 後編
    半官半民 原作




 翌朝、目が醒めると、東風はまたごそごそと何かを作っていた。
 乱馬は傷ついた身体を引き摺りながらも寝床から起き上がった。昨夜は暗かったので己の身体についた傷すら良く見えなかったが、日の元に曝け出すと、かなりの創傷や打身があることが分かった。いつの間に手当てされたのだろうか。それらには薬草を使った跡が見て取れた。
 肘についた傷に顔を近づけてみると、ツンとくすんだ薬草の独特な匂いがした。
「やあ、起きたのかい。」
 乱馬の気配を感じたのだろう。東風がにこっと笑いかけた。
「おはようございます。」
 乱馬は嗅いでいた手を下ろしてぎこちなく東風に朝の挨拶を切り返した。
「ゆっくり眠れただろう?昨日の椀の中に、月露草の生絞り汁を少したらしておいたから。怪我をしたときはぐっすり眠って体力を回復させるのが一番の薬だからね。それにしても、傷口が膿まなくて良かったよ。下手をすると壊疽で命を落としかねないからね。」
 そう言ってにっと笑った。
 おそらく薬草で深い眠りについた後、念入りに手当てされたのだろう。
(それにしても、手当てしている気配すら感じ取れなかったくらいに俺は深く眠らされていたのか。それとも、彼が気配を消していたのか・・・。)
 いずれにしても、東風の行動に得体の知れない空寒いものを感じた。乱馬が戦闘民族である証だろう。闘人の感覚で乱馬は傷口を一つ一つ辿りながら考えていた。

 ゆっくりと立ち上がると彼はしげしげと辺りを見回した。
 夕べは焚き火と満天の星しか見えなかったこの辺りをあらためて己が目で確認をする。
 崖下の窪地。鬱蒼と茂った草、そして明らかに何か建っていたと思われる柱痕。更に見渡すと、原型を留めていない茅葺の家が目に入る。
 恐る恐る彼は足を地面に着いた。
 そしてしゃがみ込んで地面を見詰める。
 確かに騒乱がこの邑で行われた痕が節々に残っていた。
 黒くくすんだ墨の痕。何かが燃えた糟。割れた土器や壊れた道具。夕べ東風が夜語りしたことが脳裏に薄っすらと蘇る。
 乱馬はゆっくりとそれらを確かめるように邑跡を歩いた。
 朝の靄の中で人が生活していた痕跡は物悲しげに差し迫ってくる。
(本当に、俺たちの部族がここを襲ったのだろうか・・・。)
 もしそうなら、あまりにも酷いことではないか。
 今まで湧いたことがないような釈然としないわだかまりが心に湧いた。
(いや、喩えそうだとしても、強い男が存在しなかっただけのことだ。俺たちは悪くねえ・・・。)
 彼は拳を握り締めた。
 男社会で育てられた彼には、強さだけが己の存在理由だった。狩りも襲撃も女も力の前に屈服する。それが絶対的な倫理であった。力の無い者は力の在る者に支配される。それだけのことだ。
 喩え、一つの邑が壊滅しようとも、力がなかっただけのこと。
 そう思ったとき彼は傍らに小さな花束を見つけた。野で詰まれた花だろうか。少しこんもり盛り上がった所に供えるように置いてあった。ここに誰か埋けられているのだろうか。
 間の前には家屋が崩れた跡があった。焼け焦げた跡。火に飲まれたのだろうか。その入口の柱跡に哀しげに置いてある花束。
 乱馬は無言でそれを眺めた。
 部族によって、子供の死体は再び家屋を守り母を通じて生まれいずると信じていて、家屋の入口下に甕棺に入れられて葬られることがあるというのを、長老の誰かから聞いたような気がした。それを思い出したが、どうやらそうではないだろう。
 誰が何を意図して、何のために花束を置いたのか。
(東風だっけ。あいつかも知れねえな。薬師だって言ってた。ここは薬師の邑だって言ってたから。いや、そうにちげえねえ・・・。)
 乱馬は黙って立ち尽くしていた。

「朝ご飯だよ。」

 靄の向こうで東風が呼んだ。
 乱馬は慌てて取って返すと、煮炊きの焚き火の前に腰を据えた。
 東風はまた椀を乱馬に差し出した。一瞬彼は躊躇した。
「あ、大丈夫だよ。そんなに警戒しなくても。今度は何も入れてないからね。但し、気付けに少し臭みのある薬草は入れてある。何にしても早く体力を回復させないと傷だって治らないだろ。」
 東風は乱馬の気持ちを察したのか笑いながら語りかけてきた。
 やっぱりだ。昨夜の汁には何か入っていたのだ。乱馬は改めて確証した。
「なあ、何であんたはそんなに親切になれる・・・。俺はこの邑をこんな状況に追いやったかもしれねえ部族の民なんだぜ。」
 乱馬は汁を飲み込む動作を止めて、東風を一瞥した。さっきの花束が彼をあらぬ方へ感情を急き立てていた。もし、東風がこの邑出身の男としたら、明らかに自分は東風の身内の「仇」になる。
 暫し沈黙が二人の上を交差する。ざわざわと傍の木々が風に揺れた。
 東風は少し間を於いて口を開いた。
「同じ、人間だからさ・・・。」
 ほっと吐き出された言葉。
 脳天を勝ち割られたような衝撃が乱馬の上を突き抜けた。
「同じ人間?」
 思わず反芻していた。
「ああ、そうだよ。喩え君がこの邑を滅ぼした蛮族であろうと、僕と同じ人間だからね。だってほら、君にも僕にも同じ赤い血が流れている。同じ人間が怪我をしているんだ。放っておける筈がないじゃないか。」
 東風はそう言うと手にした椀を傾けてずずっと汁を流し込んだ。
 乱馬には東風が言った言葉が理解できなかった。
「同じ人間だから、そんなちっぽけな理由で俺を助けたのか・・・?」
 乱馬はじっと東風を見詰めた。
「ああ、他に何か理由が必要かい?」
 東風は表情一つ変えずに乱馬に言った。
「俺は人間じゃねえかもしれねえ。俺たちの部族は龍の末裔だから・・・。だから、殺戮も略奪もそれはそれで真理だって教わってきた部族だぜ。俺なんか治したら、あんたを襲うかもしれねえのに。」
 乱馬は険しい視線を東風へと投げつけてみた。
「怪我が治ってからきみが僕を襲おうとも、それはそれでいいさ。君達が龍の末裔だというのも僕には否定をする権利は無い。だけど・・・。人間の、男の存在価値は強さだけにあるのではない。」
「じゃあ、何処にあるって言うんだ?」
 乱馬は険しい表情で東風を見返した。
「そうだな・・・。例えば君の傷。あの山崖から落ちてきた傷の他にもう一つあった。そうだなあ・・・これだ。」
 東風は乱馬の右腕に走る引っかき傷を指差した。
「これが何だ?」
 乱馬は東風が指差した傷を見て不思議そうにきびすを返した。
「これは、獣に引っかかれたものだろう?・・・ここへくる途中で銀豹の一族を見た。もしかして白い大きな雄豹に付けられたものじゃないかい?」
 東風はにっと笑って乱馬を見返した。大当たりだった。そう、乱馬たちが「白壁」と呼んでいる銀豹とのやり取りの中でいつの間にか付けられた裂傷だった。
「ああ、確かに、そいつに付けられた傷だ。確かに俺はそいつとのやり取りの中で、油断しちまってあそこから落ちた。」
 乱馬はぶすっとして答えた。
「まあ、そんなところだろうな・・・。油断していたと君は言ったが、果たしてそれだけが君が負けた理由だろうか?」
 東風は目を細めて乱馬を見た。その眼光は厳しい。
「負けた理由?そんなの別に無いぜ・・・。」
「そうかな・・・。奴にはつがいとなる雌豹と子供らが居たろう?違うか?」
「ああ、居た。」
「銀豹の一族は冬場、山へ篭って子供を守りながら春を待つという。この季節の彼らはそのための準備に余念が無い。・・・生けとし生けるものは全て、新しい命の息吹を守ろうと躍起になる。それが自然の条理だよ。人も獣も、守るべき命が目の前に在る者は強い。君がやられたのはそのせいだ。」
 東風はそう言うと、己の椀へとおかわりの汁を注ぎ込んだ。
「守るべきもの?」
 乱馬はもっと不思議そうにきびすを返した。
「ああ・・・。守るべき者。即ち、愛する者だ。あの豹には守らなければならない者たちが居たのさ。君が叶わなかった理由はそこにある。」
 東風はゆっくりと乱馬を見詰めた。そして、
「人を愛したことの無い、若い君にはまだ分からないことかもしれないけどね・・・。」
 と付け加えた。
「守るべき者、愛する者・・・。」
 乱馬には解せない言葉だった。
「強さは己のためだけに在るものではない。ましてや部族のためだけにあるものでもない・・・。本当の強さは人を愛することによって磨かれるんだ・・・。」
 東風は呟くように言って空を見上げた。
 


 その時、後ろの繁みで音がした。枯れ草が蠢く音だった。
「誰だっ!?」
 乱馬は傍らにあった某を構えた。
 何か居る。それも、殺意を持って。
 東風も殺気を感じたのだろう。乱馬を一瞥するとコクンと首を縦に振り、同じように身構えた。
 音がした方をへじっと目を凝らす。
 と、白い毛並みが見えた。見覚えのある獣の毛。光る赤い瞳。
「白壁っ!?」
 乱馬は思わず声を上げた。昨日、己を崖下に突き落とした憎い奴だ。
 白壁はうーっと低い声で唸ると、途端、大きく飛んだ。
「おっと!」
 東風は突進してきた白い塊を寸でで避けた。
 かわされた勢いで白壁はぐらりとバランスを崩したが、地面へ足を着くと再びくるりと顔を向けた。
「変だっ!」
 東風はそれを見て思わず叫んだ。
「えっ?」
 東風の言葉を理解できずに乱馬は思わず声を発した。
「見ろっ!奴の顔をっ!」
 東風は顎で乱馬を促した。
 「奴が君を襲うのは頷ける。昨日、君が奴と渡りり合ったのなら、臭いを覚えていて当然だからだ。だが奴は、君じゃなくて俺を狙って飛び込んできた。俺は奴とは初対面だ。それに見ろっ!奴の目を。あれは何か魔物にとり憑かれてやがる。」
 言われて乱馬は白壁を見た。く唸り声を上げてこちらを睨む奴の形相は、明らかに昨日のそれとは違っていた。
「来るぞっ!」
 東風は叫ぶのと、白壁が襲い掛かったのは同時だった。
「やーっ!」
 無我夢中で乱馬は木の棒を白壁に突き立てた。
「キャインッ!」
 白壁が叫んだ。彼の放った棒が腹に命中したからだ。しかし、白壁は倒れることなく、再び体制を立て直すと二人に牙を剥いた。
「こいつ、痛みへの苦痛すら忘れたというのかっ!」
 東風はそう叫びながら白壁へと突進していった。
 乱馬の目の前で二つの塊が激しくぶつかり合った。東風は白壁の腹の下へと果敢に潜り込んだ。そして、下から白壁を突き上げるように投げ飛ばした。
 どおっと鈍い音がして、地面から砂埃が舞い上がった。白壁は東風になぎ倒されて横向けに沈んだ。投げ飛ばした東風はまんじりともせず、倒したままの姿でじっと沈んだ白壁を睨みつけていた。もし、少しでも奴が動いたならば、もう一度体をぶち当てようと思っているのであろう。
(こいつ、強ええっ!出来るっ!!)
 乱馬は戦慄した。闘人の本能が激しく揺さぶられた。
 やがて、白壁は荒い息を止め、ピクリとも動かなくなった。白い屍には赤い血がどくどくと流れている。
 
「死んだか・・・。」

 東風はほおっと息を吐くと、溜めた闘気を解除した。
 闘人の顔は穏やかな薬師の者へと変化を遂げる。乱馬は薄ら寒い何かを東風から感じずには居られなかった。
 東風はそんな乱馬の視線など知らぬ顔で、倒したばかりの獲物の傍へと駆け寄った。そして、念入りに何かを調べるように白壁の身体を見詰めていた。
「ほら、ご覧・・・。」
 東風は乱馬を呼んだ。そして、白壁の前足の付け根の背中を指差した。
 そこは周りより腫れ上がっていて、固まった血がべっとりとこびり付いている。今の戦いで付いた傷にしては色がくすんで汚かった。
「これは今の戦いでついた傷じゃねえな・・・。」
 乱馬は東風を顧みながら寸評を入れた。
「ああ・・・。確かに。ほら、もっと良くご覧。」
 東風はその傷を両手でがさがさっと掻き分けた。
「こ、これは・・・。」
 乱馬は目を見開いて息を呑んだ。そこには鏃(やじり)が一本突き刺さっていた。それもか細い針のような鏃だ。
「吹矢だな・・・。これは。」
 東風は己の着物の端っこをナイフでかしっと切り裂いた。そしてそれを刺さった矢に当てると、そっと丁寧にそれを引き抜いた。
「見覚えがあるかい?」
 東風は布ごとそれを広げて乱馬に見せた。
「いや・・・。俺たちの部族の物とは違う。ほら・・・。ここが先割れている。俺たちはこんな矢じりの作り方はしねえ・・・。それに材質もこいつは角だ。俺たちが使うのは石か硬材だ。」
 乱馬は東風に答えた。
「そうだろうな・・・。君らの部族はこんな卑怯な矢は作らないだろう。武人としての誇り高き部族だからな・・・。」
 東風の布を持つ手は微かに震えていた。
「どういうことだ?」
 乱馬は東風を顧みた。
「これは、毒矢だ。それも、動物の感情を著しく狂わせる「魔薬」が塗ってある。」
「魔薬?」
「ああ・・・。薬師にとって、禁断の薬草がいくつかある。そのうちの一つが、ここに込められていたんだ。角の材質を使ったものそのためだろう。動物性の材料は硬質や石質のものと違って薬物が染み込みやすい。誰かがこの白豹に毒の染みた吹矢を放ったんだ。・・・。」
 東風の穏やかな瞳は静かな怒りを秘めていた。
「誰が・・・?何のために・・・。」
「さあ、それは分からない。が、誰かがこいつに矢を仕込んだ。そして野へ放った。毒にやられたこいつは我を忘れ怒り狂いながらここへ辿り着いたってわけだ。もし、此処がまだ人々が営む邑のままだったら・・・。」
「何人もの人間が襲われたって訳か・・・。」
 こくんと東風は頷いた。
 乱馬の表情も強張った。強い武人の邑といっても、乱馬の邑とて子供は沢山居る。もし、こんな獣が襲ってきたら、喩え強い武人が揃っていたとて、何人かの犠牲者は出て然りだろう。

 暫し、沈黙が彼らの上を覆い尽くす。

「誰かが意図的にやったんだ。実験だったのか、それとも何かを期待したことなのか・・・。」
 東風はぎゅっと布の上から矢じりを握り締めた。

(世の中には俺のまだ知らない世界がたくさんあるんだな。己の邑だけに内篭っていたら、見えてこねえ物もあるのかもしれねえ・・・。)
 乱馬は静かに立ち上がった。
「何処へ行く?」
 東風は乱馬を見上げた。
「帰るのさ。龍族の邑へ。俺が生まれた邑へ・・・。」
 乱馬はにっと笑って東風を見た。
「そうか・・・。帰るのか。」
 東風は引きとめもせずにじっと乱馬を見詰めた。この若くて精悍な少年は、蛮族と恐れられる邑へと帰って行くという。
「ああ・・・。帰って、成年式に望む。そして、ニセとなり、俺は・・・。俺は、修業の旅に出る。」
 乱馬の目は輝いていた。さっきまでの迷いは何処かへ消えていた。純粋なまでの輝きに、東風は若い頃の己の姿を思い浮かべる。
「修業か・・・。それがいい。君にはまだ知らなければならないことが多すぎる。」
「ああ・・・。そして、もっともっと強くなってやる。俺は「力の強さ」だけが絶対の条理だと思っている。それをちゃんとこの身体で確かめてえ・・・。」
 乱馬はぎゅっと拳を握り締めた。
「あんた・・・。強(つえ)えな。今の俺は多分、あんたにはかなわない。でも、今度出会うときは、絶対俺はあんたの上を行ってやる。」
 そう言ってにこりと笑った。
 東風はごくんと唾を飲み込んだ。
 彼は、底知れない強さをその若き成熟途中の身体に秘めている。それも常人離れした、何か得体の知れない超力(ちから)を持っている。
 東風は蒼白い大きな超力の輪が彼の体の中に燃えているのを見たような気がした。

「傷を癒してくれて、ありがとう。礼を言うよ・・・。」
 乱馬はそう微笑むと、手を東風へと差し出した。
「そうだな・・・。君を手当てしたことを後悔する日が来るのかもしれないな・・・。」
 東風はそう吐き出すと、ふっと微笑んだ。そして手を差し出した。
 目の前のこの少年は、今、己が懸命に育てようとしている少女戦士、あかねを喰らうほどの武人になるのかもしれない。遥かな予感が彼の上に落ちた。
(いずれこの少年はあかねと出会うだろう。「闘い」という同じ刹那に身を焦がす限りは・・・。彼はあかねを喰らうかもしれない。)
 と。
 男たちの手は熱く重なり合った。
「じゃあな・・・。」
 乱馬は手を離した後、くるりと東風から背を向け、北の山を目指して歩き始めた。振り返らずに、ただ、真っ直ぐと。
 その背中を見送りながら、東風もまた、西の地へと目指して歩き出した。袋には沢山の薬草を詰め込んで。
 二人の男たちの中間には、物言わぬ白壁の骸が大地へと打ち捨てられていた。
 もうすぐこの辺りには白い雪が降り積もる。茶色い大地を真っ白に染めて。そう、白壁の毛並みと同じ色合いに・・・。



「本当に行くのか?乱馬よ。」
 邑一番の長老が乱馬をじっと見上げて言った。老いぼれているとはいえ、その眼光には昔日の勇者の光が輝いている。
「ああ・・・。行く。俺はもっと強くなりてえ・・・。」
 乱馬は静かにきびすを返した。
 成年式を終えて、先ほどニセになったところの凛々しい青年だった。
 一つに結えていた髪を編んで連髪にした。お下げ髪。そう、それがこの邑を旅立つ男の正装だった。手には槍と大振りの刀、そして短剣。首には戦士の誇りの赤い宝石が光り輝く。
「この邑にぞ、強い男はごろごろと居ると思うがのう・・・。」
 長老は含み笑いを浮かべながら乱馬を見やる。
「確かに・・・。ここのシコやニセたちも強え。でも、この邑だけに居たら、他の世界を知ることはできねえ。他の邑の猛者たちにもなかなか会う機会に恵まれねえ・・・。俺は・・・俺は、広い世界に出て、自分の力を試してえんだ。」
 乱馬はゆっくりと吐き出した。
「おぬし・・・。白壁を倒す狩場に出て、怪我を無数に作って帰ってきてからこちら、変わったのう・・・。」
 老人は目を細める。乱馬の身体の中に己の若い頃の姿を垣間見たような気がしたからだ。
「ああ・・・。あのとき、俺は、世界の広さを少しだけ知ったんだ・・・。」
「そうか・・・。おまえの傷を治した人間に論されでもしたかのう・・・。」
 乱馬ははっとして老人を見た。東風のことは他の誰にも告げてはいない。

 あの後、邑は辿り着いたとき、皆は乱馬の生還に驚きの色を隠せなかったようだ。一緒に狩りをしていた獣左の話から、崖下に落ちて、そのまま落命したと、乱馬のことを惜しんでいた真っ最中にひょっこり帰ってきたのだ。
「怪我で暫く動けなかったからな・・・。歩けるようになるのに一昼夜かかっちまったぜ。」
 乱馬は東風の介抱や白壁との死闘のことなど一切を明かさなかった。いや、明かせば、掟破りと言われかれない。何故、他部族の者を連れ帰らなかったのか。連れ帰らないにしろ、その者の部族の在りかを問わなかったのか。いろいろと口さがなく言われるに決まっている。
 他部族の者と狩場などで行き会ったとき、力で倒すか、捕虜にするか、それともその部族の在りかを聞くのがこの邑の掟であった。そうやって新しい女を調達する邑を見定める手立てにするのだ。言い換えれば略奪する邑の当たりをつけるのである。

「ほほほ・・・。老いぼれの目は利かないが確かじゃぞ。おぬしの負うた傷の手当てを見ればわかる。誰かこなれた者が手当てしたことがのう・・・。」
 乱馬の身体はみるみる緊張した。
(ばれてしまった!)そう思ったときだった。
「いや、そう、硬くなるな。おまえさんを窮地に追い込む気はないよ。その優しさがいつか仇名すこともあるだろうが、男には尽くさなければならぬ礼もある。たとえ掟を破ろうともな・・・。」
 老人は笑いながら乱馬を見詰めた。
「だが、見逃してやる限りは強くなって帰って来い。そんな掟など蹴散らせるような確かな力を身につけてな・・・。行くが良い!若き龍の子よ。おまえに龍の加護があるように・・・。」
 老人はそう言うと、くるりと向きをかえた。元邑一の戦士、夢見翁の鮮やかな餞(はなむけ)の言葉だった。

「ああ・・・。俺は強くなる。強くなって、再び、此処へ戻ってくる。」
 
 乱馬は夢見翁へ一礼を返すと、門の方へ向かって歩き出した。 
 その後ろでは、男達が歓声を挙げながら旅立つ戦士を邑から見送った。
 この門を潜れば、外の世界だ。
 見知らぬ明日が彼を待っている。

 乱馬はお下げ髪を揺ら揺らさせながら真っ直ぐと歩き出す。まだ見ぬ明日への歩みを。いくつもの稜線を越えて。



「もっと、蹴りこんでっ!そんなんじゃダメだっ!!男は・・・男はもっと強い。君は男より強くなりたいんだろうっ!!」
 東風の叱咤が飛ぶ。
 薬草を摘んで帰って来た途端、何かにとり憑かれたように東風はあかねをしごき続けた。
「はあーっ!!でやーっ!!」
 あかねもその叱咤激励に応えるべく、必死で手足を動かし続ける。
 珠のような汗が美しい肉体へと流れ落ちる。
「もう息が上がったのか・・。」
 東風はあかねを見ながら溜め息を吐く。
「まだまだっ!!やーっ!!」
 否定するように飛び出す拳、蹴り、肘鉄。身体全体が凶器となる。
「そうだっ!もっと来いっ!もっと激しくっ!!」
 東風の声もまた空へと木霊する。

(いつか君は、あの若い龍に出会うだろう。精悍でもっと成長した彼に。叶わないかも知れない。組み伏されるかもしれない。でも、屈服だけはするな。噛み付く逞しさ、激しさを持つんだ。そうすれば、君はきっとまた再び、武のために捨てた女としての輝きを手に入れられるだろう。本物の強い男に出会うために、いや、強き男を目覚めさせるために、もっと強く。気高く・・・。)



 二つの若き魂はいつか出会うだろう。
 出会ったときに始まる新しい歴史。
 歩き続ける少年と、闘い続ける少女の頭上には、冬の大空が広がる。どこまでも青く、そして雄大に。
 遥かな青き稜線は澄み渡る大空とまだ見ぬ明日を支えて、連綿と連なっていた。



 完






言い訳ぞろぞろ
 最初は乱馬編とあかね編を別々創作して別に題名を付けるつもりだったのですが、東風という存在を繋ぎに据えてしまったため、「第一章」をあかね編、「第二章」を乱馬編として扱うことにしました。
 かなりの部分、半官半民さんからのイメージを重ねて書かせていただいたつもりです。半さんによれば「北の蛮族」(命名は私)は「武闘集団」だそうです。私が描き出した第一章は「武闘集団」というよりは「山賊」に近いです。半さんにも指摘受けております。少し言い訳させていただくと、「龍族の末裔」と自負する彼らからはそうかもしれませんが、略奪される側から見たら「山賊そのものの荒くれ集団」なのです。どう見ても。
 元作となった半官半民さんの「光、闇そして虹」は兎に角、その作品世界、キャラクターの魅力、ストーリーの構成、流れ、表現力、テーマ・・・どれを取っても素晴らしい作品です。題名も無いプロット段階から読ませて頂いておりましたが、そこから派生する妄想を断ち切れずに、己の創作に持ち込んでしまいました。
 半さんが意図としていなかった続編も、沢山できそうです。
 この乱馬編のクライマックス部は悩みました。も一つ別の展開も考えていましたが、結局、HALFMOONへ展開させる小説の伏線をひとつ張ってしまいました。
 白壁へ矢を解き放ったのは果たして誰か。追々創作してゆく予定です。(まだキャラクター剪定はしておりません。全てこれからです。)
 強くなりたい男と女。彼らが出会い、命がけの恋愛をし、そして固く結ばれる絆。
 ネオ原始時代世界を中心に据えて、これから二人でストーリーの裾野を広げてゆきたいと思っています。
 

 補足
「夢見翁」・・・半さんや私が夜毎世話になっている(?)RNR隊員の夢見人くんがイメージだと言うことは内緒です(笑

 その後
 HALFMOONで掲載をしようと頑張ってはいるのですが、実は昨夏、熱暴走が重なって書きかけの作品とプロットファイル飛ばしちゃったんです(涙
 CDに焼きこんで保存してあるはずなんですが・・・旦那、どこやったん?
 と言う訳で、探し出して、止まったまんまの続き書きます。いつになるやら?(土下座)


 という事情やら半さんの激務やらで、完全に作品としては止まってしまいました。…よしんば再開できても、一之瀬オリジナルの全くの別作品になると思います。
 一応、ここで線引きさせてくださいませ。


(c)2012 Ichinose Keiko