蒼き稜線 第一章 あかね編 後編
     半官半民 原作



 帰り道、あかねはずっと黙り込んでいた。
 考えれば考えるほど分からなくなった。この世に存在する「男」と「女」の在り方に。
 まだ、幼さをどこかに残した彼女には今日突きつけられた現実は厳しすぎた。傍らを歩く東風にもそれは如実に見て取れた。彼もまた無言で帰路を急ぐ。
 辺りに夕闇が迫っていていた。
 今夜はあの北の蛮族たちは夜道をウロウロすることはあるまい。今頃彼らは饗宴に酔い枝垂れている筈だ。攫(さら)ってきた女たちを肴に、欲望という狂乱の世界に酔いどれている筈だ・・・。

 そう思ったとき、東風は身体の奥から怒りともやりきれなさとも云えぬ感情が沸き立ってきた。
 
(奴らに奪われた妹は、身体まで食い尽くされて、赤子を産み落とし、そしてゴミのように捨てられて・・・死んだ・・・。)

 ぎゅっと拳を握り締めた。
 丁度あかねくらいの年頃だった。
 好奇心盛りの年頃で、いつか兄のような薬師の嫁になってそれを手伝いながら、たくさんの人々を怪我や病の苦しみから少しでも解放してあげるのだと夢を語ったていた。キラキラ輝いていた瞳の少女はあっけなく奴らに攫われた。

(あの時、俺が邑を離れてさえいなければ、或いはあいつだけでも守れたのではないか・・・。)

 誰にも打ち明けていない東風の哀しい過去であった。
 邑から離れて薬草の夜摘(やつ)みに出ていたばかりに、出遅れたのだ。帰って来てみると邑は炎々と燃え上がっていた。残されたのは幼き子供らの泣き声と、折り重なる男たちの死体と呻き声と・・・。目を覆いたくなるような惨状だった。
(歴史は繰り返されるとういのか!!何の権限があって奴らは幸せな平凡な邑を窮地に陥れるのか。)
 薬草を持つ手にぎゅっと力を入れた。遺恨を拳の中へと握り締める。
 妹を救えなかった悲しみが、彼を戦闘へと掻き立てたことがあった。元々武道にも長けた家であった彼の一族。更に磨きをかけ、強くなることだけに没頭した若き日の郷愁が東風の脳裏を駆け巡る。
 つい数年前のことであった。
 その後彼は孤高の戦士として荒修業を積んだが、またいつしか元の薬師に戻っていた。
 闘いに明け暮れるうちに忘れていた安らぎをこの銀杏の邑に来て思い出したのだ。行き倒れそのままに流れ着いた彼を、優しく介抱しながらあかねの一家は受け入れてくれた。
 忘れていた落ち着きを取り戻したとき、恋に落ちた自分。
 確かな薬師としての腕をを買われて、以後はずっとここに駐留していた。その傍らで畏怖もなく慕ってくるあかねを鍛えた。愛する人、かすみの妹のあかね。
 東風にとってあかねは亡くした妹と同等の存在になっていた。
 今日の惨状は忘れていた過去への畏怖を思い出すのには十分すぎた。
(奴ら、銀杏の邑に略奪に来るかもしれない・・・。いや、遠からずその日は来るだろう・・・。)
 北の蛮族。獰猛な野獣のような男たちだった。女を見事なまでに排除して、尚、守ろうとするものは何なのか。東風には理解し難かった。彼らに言わせれば「龍族の末裔」だというのである。女を排除し、子供を作る道具としか考えない恐るべき戦闘民族。明らかな異端であった。
 強いものだけが力を持つという男社会。
 悪寒が走るほどおぞましい連中。

 道すがら東風は様々な思いを馳せながら、じっと考え込んでいた。この少女に自分の持てる武道一式一般の奥伝を伝えてやるべきか否か。
 伝える事は容易い。彼女はその小さな身体に無限の可能性を秘めている。今まで対峙してきて彼女の才能は充分過ぎるほど分かっている。だが、伝えられる彼女の身の上に立てば、それが万全の策とは言い難い。下手をすると彼女を望まぬ戦いの場へと駆り立てる結果にも成りかねないからだ。
 彼女が女で無ければ糸も簡単に答えは出るであろう。しかし、彼女はやはり「女」なのだ。
 「女」を鍛えるのは並大抵なことではない。ましてや戦闘民族と同等に渡り合えるまでに鍛えるのだ。
 どうしたものかと東風は思案にくれながら足を動かし続けた。

 一方、あかねはあかねで、その小さな胸を痛めていた。
 縄を付けられて歩かされていた女たち。自分と同じ年頃の少女も居た。
 その現実に、大きな瞳は曇り始めていた。
 あの女たちはあの後どうなるのか。決して楽観的な未来が拓けているわけではないことは彼女にも理解できた。過酷な運命の扉が手ぐすねを引いて待っているのだろう。それは彼女の想像の域を越えていた。何故、女たちだけが連れ去られたのか。それが何を意味するというのか。

「ねえ、先生・・・。」
 あかねは矢も盾もたまらず東風に問いかけた。
「あの女の人たちはどうなるの・・・?」
 真剣に東風を見詰めた。
 東風は本当のことを話すかどうか一瞬たじろいだ。はっと歩みを止めてあかねの黒い瞳を覗き込む。
「お願い・・・。あたし、知っておきたい。」
 あかねは縋るような目で東風を見詰めた。
 東風は一つ大きな溜息を吐いた。この聡明な少女に嘘は言えない。増してやいい加減な出任せも。もうすぐ大人への階段を駆け上がる彼女に、ちゃんと話しておくべきだと判断したのである。
「わかった・・・。話そう・・・。北の蛮族のこと。いいかい、この話は、他の連中には決して口外してはならないよ。君の部族の中でも、この話を知っているのは長老や邑長といったごく限られた男たちだけだ。勿論、君の親父さんも知っている。」
 東風は再び足を早めながらあかねに語り始めた。
 どの話も、あかねには俄かに信じられない衝撃的なことばかりであった。
 女を攫って子を孕ませる蛮族。男だけの力の社会。攫った女を檻に囲い、夜毎繰り返される狂乱の宴。決まった相手ではなく、好き勝手に選び、欲望を注がれ、恥辱に耐えなければならない女たち。
「じゃあ、あの女の人たちは・・・。」
「命まで取られることはないけれど、地獄へ叩き込まれるのさ。そして尊厳も人格も根こそぎ奴らに喰らわれる。身体を貪られ、子を孕まされ、そして彼らの一族を産み落とさせられる。」
「それから?」
 あかねは息を呑みながら東風の話しに嵩じる。
「生まれた子が男なら、一年間だけ乳を与えるのに共に過ごさせられる。それからまた元の女郎に落とされて再び男たちの慰み者だ。それの繰り返し・・・。そして生まれた子が女なら、女腹と忌み嫌われ、女児は皆殺し。そして、生んだ女は人買へと売られる。海の向こうへ売られる女もいる。また、子種を授からない産まず女(め)も売り飛ばされる。どっちにしたって生まれ故郷へ帰ることはないだろう・・・。」
 東風は淡々と事実のみを語って聞かせた。
「そ、そんな・・・。酷い・・・。」
 あかねは耳を覆いたくなるのをじっと堪えて聞き入った。聞かなければならない。そう思ってじっと耐えた。涙が零れそうになるのを必死で堪えながら。
「そいつら、いつか、あたしたちの銀杏の邑へも来るかもしれないの?」
 邑の明かりが目に入ったとき、あかねは東風へ急き込むように尋ねた。
 東風は黙って頷いた。
「奴らは、定期的に女たちを求めて邑を襲う。血が濃くならないように、毎年違った邑を巡って女たちを根こそぎ攫ってゆくんだ。彼らに襲われた邑が再び活気を取り戻すには早くて十年はかかる。勿論、全滅してしまった邑も数多くあると聴く。そうだ・・・。奴ら今まではここの南の地には殆ど現れなかった。多分、山の南側に邑が点在していることを知らなかったんだろう。君らの邑も樫の木邑も、他部族とは殆ど交流のない、静かな農耕の邑だったからね・・・。交流していても、ほんの三つ四つ程度の小さな邑だった。なのにだ・・・。どこで聞きつけたのか、それとも、北や東の地にはもう、襲う邑がなくなったのか・・・。南の稜線まで越えて来やがった。銀杏の邑が奴らの知る所になるまでには時間がかからないかもしれない。いや、そう思っておいた方が良いだろう。」
 東風は厳しい表情を浮かべながらあかねに語って聞かせた。
「どうすればいいの?」
「奴らと戦って勝つだけの勇気と誇りを持つ以外に方法はないだろう・・・。いいかい、あかねちゃん。今日の話は他の人たちには口外無用だよ。悪戯に恐怖心を煽るのが一番いけない。これからの事に着いては、邑長たちと話し合って決めてゆくだろう。さあ、今夜はもう遅い。また明日に考えるとしよう・・・。」
 東風にはそこまでしか伝えることは出来なかった。それ以上をあかねに望んでいいものか。己の考えだけでは突き進めなかった。
 彼女を棘の道へと追いやるには、力も年も拙すぎる。
 あかねたちは邑の入口へと差し掛かった。集落の入口に設えられた木のトーテムポール。それをくぐればそこは「銀杏の邑」である。




 あかねたちが邑へ帰り着いたときはすっかり夜の帳は降りきっていた。空に星が輝き始め、満月に近い月がさやかに照り付けていた。

「あかねっ!心配したんだからっ!!」
 開口一番、長姉のかすみに怒鳴りつけられた。普段おしとやかな彼女も語気を荒げている。
 あかねは黙って姉の小言を聞き終えると父に今日のことを謝りに行った。彼女の邑では父親は絶対的な存在として認められる。
 通り一遍等の小言を言われた。今後は勝手に東風先生に着いて邑を出ないように厳しく言い渡される。あかねは黙って説教に耐えた。いや、魂は他のことを考えていたのかもしれない。
 夜も更けて、やっと解放されたとき、邑はすっかりと静まり返っていた。殆どの人々が安穏と眠りこんでいるだろう。
 あかねは、はあっと溜息を吐いた。昂ぶった感情はなかなか静まる気配をみせない。流石に、父や姉たちには隣の樫の木邑の惨状のことは告げれらなかった。帰り道、東風にも止められた。
 明日にでも情報はこの邑にももたらされるだろうが、父や姉を心配させてはいけないからと東風は口止めをしたのだ。何も見なかった、樫の木邑には立ち寄らなかった、自分もそう口裏を合わせるからと東風はしんみりと笑った。
「あかねちゃんはもう、何も心配しなくていいから・・・。明日、ちゃんと僕の口からもお父さんに伝えて謝っておくから・・・。」
 東風はそう言うとあてがわれた居住場所へと静かに帰って行った。
 あかねは大人しく自分の寝屋へ帰る気になれなかった。このまま寝床へ入っても、寝付けるものではなかろう。何より部屋の闇が恐ろしかった。閉ざされた空間で対峙する生々しい昼間の風景。去来する繋がれた女たちのうらぶれた表情と襲われた邑の惨状。
 十五歳の少女には全てを飲み尽くすことが出来なかった。
 男と女の営みがうすうすわかってきて、子供を作るにはどうすれば良いのか。ませた一つ上の姉、なびきがこっそりと耳打ちしてくれたことがある。俄かには信じられなくて、暫く父を見ることができなかった。母親は既に他界していたので、普通母が果たす役割を姉たちがこなしてくれていたのである。
 愛する男と身体を交配し、子種を貰い、新しい命を産み落とす。
 それが自然な営みだと信じてやまなかった少女の理想は、打ち砕かれた。世の女たち皆が幸せではないことを肌で感じ取った。
 あの捕縛された女たちはあの後どうなるのだろう。
 東風は何も言わなかったが、彼の知り合いの源じいとのやり取りで薄らぼんやりと行く末が分かった。
 北の山の向こうには「北の蛮族」と言われる野人たちが居り、ああやって女を攫っては、己たちの子種を残すためだけに交配させるという。望まぬ性交渉がどんなに屈辱を与えるのか。考えただけでも身の毛がよだった。
 夜毎繰り返される狂乱の性交渉にいつか孕んだ女は子だけを産まされる。そして、生んだ子が女ならば子供共々、他民族へと売り飛ばされる。男ならば一定期間だけ乳を与えるためだけに残され、その後は引き離されてまた売り飛ばされる。
 奴隷にされた女たちは遠く海を越えて異国へと連れていかれるという話も聞いた。
 あかねは邑外れの大きな銀杏の木下へ腰を下ろして夜空を見上げた。
 銀杏の木は見事な黄色の葉っぱを天へと揺らめかせて立ち上がっている。まだ散るには少しだけ早いが、あと十日もすればこの下は黄金の葉で埋め尽くされるだろう。

「よお・・・あかね。ちょっと面かせよ!」

 背後で男の声がした。
 はっとしてあかねは闇を振り返った。
 そこには男が一人こちらを見ながらにやにやと立っていた。
 この邑の長の息子、豹太だ。歳が四つほど上であった。体つきはあかねより一回り大きい。がっしりとした体格で溢れんばかりの精気に満ちている。この邑の若大将のような奴だった。将来は父親の後を継いでこの邑を束ねてゆくのだ。そう決まっていた。
「なあ、この前のこと考えてくれたか?」
 彼は少し恥らうようにあかねに向かって言葉を投げた。
「この前のこと?」
 あかねは覚えがないような顔をして問い返した。昼間のことに気が移っていて、彼が何を言おうとしているのか瞬時には解せなかったのだ。
「俺の嫁になってくれねえかってことだよ・・・。」
 あかねは今年で十五歳。ぼちぼち子供を作られる年頃になってきた。この邑では十五歳になると嫁入ることもできる。大抵の女たちは十八までに適当な相手と結ばれる。
「お断りよ。」
 あかねはきっぱりと言い放つ。あまりにりんと言い放たれたので、豹太は顔をしかめた。
「何でだよ・・・。この邑のニセでは俺が一番強いんだぜ・・・。それに、おまえは邑長の正室になれるっていうのに・・・。」
 にっと豹太が笑った。
 この邑では一夫多妻の形態をとっている。これもまた自然の名利で、権力などが多いほど、嫁が多くいる。その中でも「正室」は最初の嫁として強い権限も持てる。邑長の正室ともなれば尚更である。
「嫌よ・・・。強いったってこの邑の中だけのことでしょ?それにあたしはまだ十五だもの。おあいにく様。」
 あかねはソッポを向いて言い放つ。全くその気はなかった。まだまだ結婚なんて考えたこともない。
「約束だけでいいからよ・・・。おまえは良い女になるぜ。それにその強さ、絶対良い子種をたくさん授けられる。なあ・・・。俺の嫁に来いよ!」
 ずいっと近寄る豹太。あかねの細い腕を引っ張った。
「嫌っ!離してよっ!」
「このまんま、俺の物にしてやってもいいんだぜ・・・。」
 豹太はちろっと赤い舌を覗かせてあかねを見下ろした。あかねの胸は福与かで美しい曲線を描いている。整った顔かたちはもちろん、武道で鍛えた均整のとれた野性の美しさ。月明かりに照らし出されて白く光り輝く。瑞々しい肢体に豹太の目は釘つけられる。
 嫌らしい視線だった。
「決めた。やっぱりおまえを貰う。」
「嫌だって言ってるじゃないっ!」
 あかねはむっとして豹太に叫んだ。
「その強気なところがまたいい・・・。限りなく男を刺激しやがる・・・。だからますます欲しくなる。」
 くくくと笑う豹太。その視線のいやらしさにあかねは身体の奥から虫唾が走る。
「いやっ!」 
 豹太は離してやるものかとぐいっと力を入れた。このままあかねを組み敷いて想いを遂げるつもりらしい。
「放してなんかやるもんか・・・。ほら、おまえだって強靭な男の腕に抱かれて女としての本懐を遂げたいだろう?この邑のニセでは俺が一番強いんだ。さて、どこから喰らってやろうか。」
 そう言いながら近づけてきた唇。あかねは彼の掴んできた腕を思いっきり噛んだ。

「いてっ!何しやがる!このあばずれ女っ!」
 思わず豹太はあかねを掴んでいた腕を放した。
 あかねは待ってましたとばかり後ろへと身を引く。そしてしっかと腰を落として構えた。武道の構えである。
「へえ・・・。俺様に楯突こうっていうのか。威勢がいいな。相変らずよ。」
 豹太はあかねの歯型がついた右手に息を吹きかけながら睨み返してくる。
「そんなにあたしが欲しいのなら、力ずくで捻じ伏せてみなさいな・・・。でかいだけの唐変木さんっ!」
 あかねは高飛車に言ってのけた。
「いい根性してやがる・・・。何、言われなくてもそのつもりだ。」
 豹太はあかねに触発されて動いた。
「遅いっ!」
 あかねは艶やかに身を翻すと、豹太の頭上を軽々と越えた。そして蹴りを上から食らわす。
「畜生っ!人が大人しくしていたら調子に乗りやがってっ!」
 あかねに足蹴にされて、豹太が逆上した。背中にあかねの足型がくっきりとついている。
「もう手加減はしねえっ!!」
 豹太は身体中の気を漲らせて、今度はさっきの数倍の勢いであかねに飛び掛ってきた。
 あかねはひょいひょいと面白いほど彼の猪突猛進を交わす。
「ちょろちょろと逃げやがってっ!」
「あら、もう息が上がったの?情けないわね・・・。」
 あかねはますます彼を煽り立てる。勝敗は見えていた。単純な直線攻撃しかできない男の手に落ちるようなあかねではなかった。
「こんのーっ!!捕まえたぞっ!」
 豹太があかねの足をわしっと掴んだときだった。
「引っかかったわねっ!」
 あかねはにっと笑って身を捩った。そして振り返り際に豹太の顔面に肘鉄を食らわせた。それも鉄の肘鉄だ。東風に鍛えてもらった彼女は瞬時に己の身体の闘気をそこへと集中させて一気に弾いたのだ。
「ぐえっ!」
 悲鳴とも呻きとも云えぬ声を発すると、豹太はその場へと前のめりにどおっと沈んだ。

「ふんっ!他愛のないっ!!あんたみたいな鈍(なまく)らにやられるあたしじゃないわっ!!」

 あかねの鼻息は荒かった。
 何より力ずくで組み敷こうとした「男という生き物」に心から憎悪した。

「あかねちゃん・・・。」
 背後で聞きなれた声がした。
 東風だった。
「先生・・・。」
 立ち尽くすあかねからは何故か涙が零れ落ちた。安堵というよりは、複雑な気持ちが入り乱れた涙だった。
 悔しかった。女であることが。心から。男に組み敷かれる運命を厭んだ。
「大丈夫・・・。君は強い女の子だから。」
 あかねの心中を察した東風はあかねへと手を差し伸べた。

「先生っ!あたしっ!女を捨てますっ!!」

 あかねはその手を撥ね退けて、凛と立ち上がった。

「あかねちゃん・・・。」
 東風は差し出した手をそのままにあかねを見詰めた。彼女の瞳に宿る悲壮なまでの決意の輝き。彼はそれを静かに見取った。
「あたしは、もっともっと強くなりたい・・・。絶対誰にも負けないように・・・。男の力をも凌駕できるように・・・。」 
 あかねはそう叫ぶと、倒れた豹太の懐から短剣を取り出した。
 右手に取るそれには月明かりに洗われた己の顔が蒼然と輝いて見えた。
 暫くそれを覗き込んだ後、彼女は意を決するように星天へと短剣を翳した。
 そして左手で長く揺らめく髪をたくし上げ、そこへ短剣を添えた。凛と前を見詰め、無言のまま彼女は剣を斬っと後ろへ引いた。
 一陣の風が彼女の傍を吹き抜けた。
 それと共に、彼女の長い髪がはらりと左手に落ちて広がる。
 腰まであった彼女の見事な黒髪は肩までの長さになった。
 長い髪はこの時代、女の象徴であった。黒く枝垂れた美しい髪は女としての尊い誇りであった。だが、あかねは髪を切った。長い髪を切ることで女であることを捨てたのだ。これからは男と対等に鬩ぎ合いながら生きてゆく。悲愴なまでの彼女の決意だった。
 彼女の左手に落ちた翠なす黒髪は、無言で彼女の決意を物語る。美しく月に照らし出されていた。
 東風は黙ってあかねを眺めていた。東風の瞳の奥で、儚くも散った妹の顔があかねと重なった。
「あかねちゃん・・・。」
 東風はふっと表情を緩めた。
「君がそこまで決意するなら、僕はもう何も言わない・・・。存分にやればいい。女ではなくこれからは戦士として生きてゆき給え。でも、決してそれは平らな道ではないよ・・・。」
「それは覚悟の上です。いつかこの邑にも襲ってくるかもしれない北の蛮族のような民から、私の生まれたこの邑を、美しいこの地を守り抜きます。あたしは、誰にも負けたくない。だから・・・。」
 東風は黙って頷いた。
「明日から、僕が鍛えてあげよう・・・。昔取った杵柄。いいかい。これまで以上に厳しくするからね・・・。君を女だとはこれからは思わない。もし、己に打ち負けることがあったなら、さっさと女に戻るんだ。いいね・・・。」
「はいっ!!」
 あかねは天高くこだまするように返事をした。甲高い声は澄み渡り、強い決意を響かせていた。

 清とした空気が夜空から降りて来る。冬の冷気が肌に差し迫る晩秋の夜陰。
 めらめらと燃えるかがり火は天を焦がしながら赤く色づいた。天の星は遥かな稜線をくっきりと浮かび上がらせるほどにさめざめと煌く。
 あかねは手にした髪を空へと投げ捨てた。そして、東風に一礼すると、振り返らずに邑の闇へと消えた。
 
 それは美しき短髪の女戦士が誕生した瞬間だった。




 あかね編 完



あとがき
「蒼い稜線・・あかね編」
 女戦士あかねの誕生をテーマに描きました。
 半官半民さんの思い入れ強き作品の一挿話。乱馬と対峙するに至る彼女の一頁。この後彼女は邑で東風と修業を積み、男よりも強い力を手に入れます。
 男よりも強く在りたいという彼女の気の強さ。そんな凛とした美しさに、創元紀の乱馬は多分「一目惚れ」したのではないでしょうか。彼があかねだけを手に入れたいと思ったのは彼女が孤高の美しさを持って戦う強い女だったからだと、半ちゃんのプロットから私は汲み取りました。
 原作のあかねも強き女豹のような激しさを秘めています。その奥にある優しさも逸品で、乱馬は身も心もあかねに惹かれていったのではないでしょうか。
 この後は乱馬編へと移行します。試行錯誤は続きます。(でも楽しい!)



(c)2012 Ichinose Keiko