蒼き稜線 第一章 あかね編 前編 半官半民 原作
一
太陽が雲に隠れた。
俄かに辺りから陽の気配が消え、つんと土が湿っぽい匂いを吐いた。
「さあ、もう一回、ここを狙って蹴り上げてご覧。」
男は優しい目を少女に投げかけながら左腕をつっと挙げた。目の前で少女が一人、促されて低い姿勢で構える。
「でやーっ!!」
「いいぞ…・。もっと正確にここを狙うんだ。」
男は頼もしげに笑いながら少女を導く。
少女の名前はあかね。誰がつけたのか、紅く萌える夕焼けの色を意味する名に相応しく、その愛らしい容姿とは裏腹に激しい蹴りが男の腕へと炸裂する。
ぱしんっと乾いた音がして、男が手にしていた板が割れた。見事に真っ二つに裂けて地面へ落ちた。
「ようし!今日はこの辺でいいかな。」
男はあかねを見てにっこりと笑った。
「ありがとうございましたっ!東風先生っ!」
あかねはピンと背筋を伸ばすと、そう言いながら頭を垂れた。
「あかねちゃんも熱心だね…。」
東風は割れた板を拾い上げながらあかねに話し掛けた。
「どうしてそんなに熱心なんだい?」
「だって…。男の子には負けたくないんだもん…。だからもっとあたしに武を極めてっ、東風先生っ。」
あかねはそう言うと屈託ない笑顔を東風へと返した。
「お転婆さんだな…。でも、決して己の身を自ら守るのは女でも悪いことじゃないから。」
そう言うと東風の顔が少し暗くなった。
「先生?」
あかねは円らな瞳を大きく見開いて東風を眺めた。
「あ…。いや、いいんだ。」(この村はまだ奴らに見つかった訳じゃないから…。)
語尾は咽喉の奥へと押し殺した東風は、またいつもの笑顔に戻ってあかねを見返した。
「ねえ…先生。あの山の向こうには何が在るの?」
あかねは好奇の塊と化した目で東風を覗き込む。知りたくて知りたくて仕様がなかった。
そう、女は山麓の泉の所までしか行ってはならない。そんな掟がこの邑(ムラ)にはあった。男たちはもっと先の山向こうまで行けるのにである。少女にはそれが不思議でたまらなかった。元来持っていた好奇心がムクムクと頭をもたげてくるのだ。
「あの山の向こうには魔物たちが住んでいるんだ。そう聴かなかったかい?」
東風はちょっと思わせぶりにあかねに話し掛ける。
「ばばさまもじじさまもそんなこと言ってた。女はあの山を越えると魔物に取って食われてしまうって…。」
まことしやかに皆に言い伝えられてきたことだ。でも、あかねには納得がいかなかった。聡明なこの少女は何故女たちだけがそう遠くまで邑から離れられないのか不思議でならなかった。
父や姉たちに聞いても満足ゆく答えは返ってこない。
『掟だもの。破れないのよ。』
真ん中の姉は考えても無駄よと云わんばかりにあかねに返答するのが常であった。
「掟」。
この端的な言葉一つで何でも制限される生活。それが邑の営みであった。
中央には邑長が居住まい、その横に卜占の老婆が居る。彼女が説く占いは絶対であり、邑長すらもそれを優先する。
日照りが続けば雨乞いをし、雨が続けば太陽の到来を祈る。
彼女の邑は農耕が主体のごく普通の中規模の集落だった。環濠に守られ、誰彼もが争いごとを好まない。また、他からの交流も殆どなければ、干渉も戦争もないそんな平和な小国家を形成している。
女は主に田畑を耕し、男もそうしながら時々近隣の野山へ狩りに出掛けるといった社会形態。これもまたごく普通のことだった。
あかねにしても、唯一遠くへ行けないことを除いては不自由も不満もなかった。それだけに、何故女性だけが山を越えて行けないのか、解せなかった。不思議だった。
あかねの目の前に居る青年、東風。
彼は邑から邑を転々と渡り歩く「医学者」であった。
この時代、勿論、病院などといったものはなかった。多くの場合、シャーマニズムに乗っ取って、占い師が悪病払いを行うという、原始的な手法でしか病人や怪我人を介抱できなかった。
だが、中には外科的な傷の手当てや薬の調合が出来る「薬師」という「医者」に当たる人間も居た。
東風の一族はこの辺り一体で名の知れた薬師だった。その血を引いた彼もまた薬師として近隣を巡っていた。薬師たちは、自由に邑々を行き交いながら、怪我人や病人を介抱するだけではなく、薬草や薬種を求めて歩き回るのを常としていた。 東風も薬師としての腕だけではなく、武道家としての腕も際立っていた。
当然、危険が付きまとう古代の道。山賊も居るし野獣も居る。また、邑長が代わったりすると、てき面扱いも変わることがある。東風も彼なりに何度も修羅場を乗り越えてきた。
幾つもの邑を転々と歩いた後、彼は数年前からこの銀杏邑に住み着いている。今ではすっかり邑の専属薬師として一族から慕われるに至っていた。
あかねは幼い頃からこの東風が大好きであった。優しい兄貴分であると同時に、何よりその強さに憧れていた。
(男の子より強ければ、いつかあの山を越えて向こうの世界へと行くことが出来るのではないか…。)
少女の願いは純粋で穢れがなかった。だが、少女が抱いた強い男への尊敬はいつしか憧憬へとも時には変化する。
あかねは誰よりも目の前のこの男、東風が大好きで溜まらなかった。
「あらあら、またあかねちゃんは男の子のような荒っぽいことをして。」
後ろで長姉の声がした。
「か、かすみさん…。」
東風の声が上擦る。彼はあかねの姉のかすみが好きらしい。
「いつもどうも…。先生、お湯が入りましたわ。どうぞ…。」
にこやかに長い髪を靡かせてかすみが土で作った湯飲みを置いた。この時代にあっては温かい湯は茶に勝る一等の飲み物であった。
「は…。はい。いつもあ、あかねちゃんは元気です。ははは…。」
「ごゆっくりどうぞ…。」
かすみはそう言うとそこから立ち去った。東風の視線は泳ぎながら彼女を追いかけている。
あかねは、ふーっ、と大きな溜息を吐いた。
どんなに恋焦がれてもこの恋は叶わない。あかねには分かっていた。東風があかねに優しいのは姉のかすみの妹ということが影響しているのかもしれない。複雑な思いで姉の後姿を見送った。
「先生…。お湯、冷めちゃいますよ。」
あかねは促すと、はっと我に返った東風が、しきりに頭を掻いている。
「ねえ、東風先生、一度でいいからあたしもあの山を越えてみたい。」
ひとりごちのようにあかねは山を見詰めた。目の前に立ちはだかる山は青く輝いて見える。
「あかねちゃんには無理だよ。」
「どうして?」
「可愛いから魔物が放っておかないだろうしね。」
お湯を口に含みながら東風は笑う。
「可愛いと魔物がさらってゆくの?」
「ああ…。魔物たちは可愛い女が好きらしいから。」
どう考えてもあかねにははぐらかされているようにしか思えなかった。
「じゃ、もっと強くなれば…。男より強くなればあの山を越えられるのね。」
東風はそれ以上は答えなかった。
この世の中、理屈で割り切れないことが多すぎる。
憧れを凌駕するような厳しい現実も多い。旅慣れたこの男にはそれが良く分かっていた。
(あの一族さえいなければ、もっと女たちも自由闊達に山を越えて往来することができるだろうに…。)
横ではしゃぐあかねを見ながら東風はゆっくりと湯を啜った。
二
あくる日早く、東風はあかねたちの銀杏邑を出た。
冬に備えて蓄える薬草を摘みに青垣の中腹へと向かうためにだ。冬場は雪に閉ざされるこの地方では、薬草は殆ど手に入らない。そんな季節に備えて、薬草を貯蔵するのも薬師の大切な仕事であった。
毎年銀杏がその葉っぱを黄色に染め上げる頃、彼は冬支度の薬草を摘みに山へと入る。今日は日帰りの予定だった。
「お気をつけていってらっしゃいな…。」
かすみは水筒代わりの竹筒と弁当代わりの干飯(ほしいい)を手渡しながら東風に声を掛けた。
「は、はい…。かすみさん。それはもう、お元気で。」
相変らずかすみの前ではチンプンカンプンな東風である。
「早く戻って来て下さいね。」
優しい彼女の笑顔に見送られて、東風は上機嫌で邑を後にした。
朝靄があたりに立ち込めて、冬の到来を否が応でも感じさせる冷気。
その中を東風は足早に道を急いでいた。早く目的地に達して薬草を摘んでこなければ、山の秋はすぐに暮れる。
何里か進んで彼は後ろを振り返った。
さっきから人の気配を感じている。
東風はたっと足を速めた。すると、気配も歩調を併せて急ぎ始める。殺気をまさぐったがそれはない。
(ははーん、そういうことか。)
東風はほくそえむと、いきなり走り始めた。慌てて後ろの影も走り出す。ある程度走ったところで東風はたっと木に登り身を隠した。
影は急に東風が居なくなったことを感じたのか、隠れた下あたりでキョロキョロと辺りを見回す。
(やっぱりか…。)
東風はふつっと笑いを浮かべると、トンと人影の前に降り立った。
「たく…。ダメじゃないか、こんな所まで付いてきちゃ!」
東風は後ろから急に声を出す。
「あ…。みつかっちゃった…。」
あかねであった。この好奇心旺盛な少女は、矢も立ても溜まらず東風にくっついて邑を出てきたらしい。
「見つかっちゃったじゃないだろ…。僕とはぐれたらどうするつもりだったんだい?それに、邑から離れると危険だってあれほど言ったろう?」
東風は攻めるでもなかったが、あかねを咎めて続けて言った。
「魔物に襲われたらどうするつもりだったんだい?」
少し語尾が厳しくなったのはあかねへの牽制だろう。
「だって…。この目で確かめて見たかったんですもの…。山に潜む魔物を…。」
あかねは大きな目を瞬かせて東風を覗き込む。
「たく…。しょうがない子だなあ…。今日だけだよ!」
東風は苦笑いしながらあかねに言い放った。
「はあいっ!」
あかねは元気良く答えると、
「さあ、先生っ!急ごうよ!」
などと先導しながら歩き出す。
「厳禁だなあ…。あかねちゃんは。」
東風は頭を掻きながらあかねの後ろから道を急ぎ始めた。
太陽が昇りきって天へと差し掛かる頃、二人は山の薬草原に着いた。
あたり一面にいろいろな緑が広がっていた。梢は紅葉し始めていて、枯れ葉が風に舞い降りてくる。冬支度をする小動物たちが競って木の実などを集めている気配があった。
東風は早速麻袋を広げて、手当たり次第に薬草を摘み始めた。慣れたもので、東風はさっと草を潰して匂いを嗅ぎ、一応ざっと摘みゆく薬草を見極める。
流石にあかねはどれが必要でどれが不必要か分からないので、東風の手元をぼんやりと見学していた。
麻袋が薬草で満たされると、東風はどっかと木の根っこに腰を下ろした。
「あかねちゃんも食べるかい?」
東風はかすみが出掛けに託した干飯を差し出した。
「いいです…。自分の分はちゃんとこうやって。」
あかねは懐から干飯を取り出した。
「やっぱり…計画的だったんだね。」
東風は苦笑いしながらあかねを見詰めた。
「山の中腹まででいいからって思い切って先生にくっついて出て来たの。やっぱり外界は良いわね。空気も澄んでる。」
あかねははしゃぎながら答えた。
「大方そんなところではと思ってたよ。」
東風は干飯を頬張りながらにこっと笑った。この穏やかな青年は、決っして語気を荒めない。他人の業に対しては、懇切丁寧に諭してゆくのだ。
天上の太陽はそんな二人を暖かく照らしてくれる。青い空は柔らかに包んでくれる。渡ってくる梢の風は冷たいながらも心地良い。
ちょっとした晩秋のピクニック気分。
休養を取った後、東風はくんと上に大きく伸び上がった。そろそろ山を降りるらしい。
「さてと…。お腹もいっぱいになったし・・。ちょっと隣の樫の木邑へ行って、そこで薬を少し仕入れてから帰ろうか。」
「わあ。樫の木邑かあ…。」
あかねの目が輝いた。
樫の木邑はあかねたちの暮らす邑の隣に位置していた。隣といっても、あかねたちの所からはかなりの距離がある。あかねの足で急いで歩いても一時間以上はかかる。
樫の木邑。中央に大きな樫の木が聳え立つことから皆はそう呼ぶようになった。
勿論あかねは行ったことがない近くて遠い邑である。初めて足を運ぶことになる。少女の好奇心を満たすには格好の材料だった。
「反対側の獣道を辿れば小一時間で着けるからね。」
東風はにこっと笑った。流石の薬師として邑を渡る彼だけに、この辺りの地理には精通しているらしかった。
「足元に気をつけてね。枯葉が積もって、滑りやすいから。」
あかねは東風の後に続きながら幸せな気持ちになっていた。前を行く背中が逞しく見えた。ここには姉のかすみも居ない。そんな微かな優越感があかねを楽しげな気分にさせていた。
二人は足元に注意を払いながら山道を下っていった。
三
半時も下った頃だろうか。
東風は徐に足を止めた。
あかねは一緒に立ち止まって、彼を見上げ、はっとした。厳しい顔をしていた。彼の視線の先を見ると煙が上がっている。食事支度の白い煙ではなく、明らかにどす黒い燃え上がる火の粉である。
「火事?」
あかねは呟くように東風に言った。
「しっ!」
東風はあかねに黙るように促した。
そして辺りの気配を伺うと、あかねの手を引っ張って、獣道から少し外れた繁みの奥の岩陰にと連れ込んだ。
「せ、先生?」
あかねは急な出来事に目を丸くして東風を見返した。
「いいかい、あかねちゃん!気配を断つんだ。何を見ても絶対に乱れちゃいけないよ!」
東風はあかねの肩をぎゅっと鷲掴むと、低い声で囁く。
木々の上で、鳥たちがバタバタと飛び去った。梢が俄かに賑やかになる。東風の表情に緊張感が漂う。彼は、腰につけていた短剣へと右手を滑らせる。左手はあかねの肩を守るように掴んでいた。
尋常ではない東風の気配に、あかねも言葉を飲み込んで、言われたとおり気配を断つことに専念した。
糸を張り詰めたような緊張感が二人の上に訪れた。
と、獣道の向こうで人々の気配がした。
「やっぱり来たか…。いいね、何を見ても身動きしちゃいけないよ!」
東風はあかねに念を押した。あかねはこくんと頷き返す。
ざわざわと低い声が唸る。そしてその向こうに女たちの嗚咽が聞こえてくる。
バキバキと枝の擦れる音が近づいてくる。
男たちの集団が息を殺して潜むあかねたちの数メートル先を進んでゆく。手には武器を持ち、荒くれて息巻く姿が鬼のように見えた。戦場から引き上げてくる戦士たちのように荒くれた野郎たちの集団であった。
「へへ…。これだけ居れば、当分はたっぷりと楽しめるぜ…。」
「ああ・・。あんなところに里があったとはな…。」
「農耕の連中だから骨なしばかりで楽だったなあ…。皆あっけなく沈んで手応えもなく、少々つまらなかったがな…。」
集団の殺気は荒んでいる。流石に東風もあれだけの数を相手にはしたくはないだろう。気配を断てと命じた彼の真意があかねには容易に飲み込めた。
ただ事ではない。
あかねはぎゅっと拳を握り締めた。東風はそんなあかねを気遣うようにそっと置いた左手に力を込める。
十数人の荒くれた男たちが行き過ぎるともっと信じられない光景があかねの目に飛び込んできた。
女たちが十数人、後ろ手に縄を結われて追い立てられるように歩いてゆく姿が映ったのだ。
(何?…。)
あかねは己が目を疑った。
女たちは一様に縄で縛られ、泣く泣く男たちに引き摺られるように歩いている。
「ほら、この鞭に砕かれたくなかったら、さっさと歩けっ!産女どもっ!」
一際大きい男が皮で作った鞭を地面に叩きつけている。振り下ろされた喝鞭に石ころが弾け飛んでバラバラと音を発てて女たちの足元へと転がる。
「ひい…。」
傍らで女たちが肩を窄める。
「ほうらっ!さっさと歩けよ。まだまだ一つ山を越えないといけねえんだっ!」
女たちは黙々と促されるままに歩き続けた。中にはしゃくり上げて肩を震わせる女もいたが、男たちの眼力は鋭かった。
「そのくらいにしておけよ…。大切な産女(ウブメ)たちだから、傷はつけるなよ。」
荒くれた男たちの大将とも目される大男が低い声で叫んだ。
「わかってるって…。へへ…。今夜は大饗宴だな…。」
男たちの顔は心なしかにやついている。
「てめえらー!さっさと帰ろうぜっ!」
真ん中の大男が雄叫びをあげると「おおーっ!」と男たちが一斉に叫んだ。
「全く…。好き放題言いやがって。変わらん野蛮な連中だ…。」
彼らが立ち去った後、東風は蔑視を篭めて言い捨てた。
あかねは今の光景が一体何を意味するものなのか、まだ、完全に把握していた訳ではなかった。男と女の営みの基本を、まだ全部知りえていたわけではない。だが、直感的に、何かとんでもない事態を目撃してしまったことだけは薄らぼんやりと理解していた。
「君には刺激が強い光景だったかもしれないが…。あれが魔物の正体さ。」
東風はあかねの肩をポンっと叩いて溜息を一つ吐いた。
「魔物は人間の内側に潜むんだ。人間ほど身勝手で傲慢な生き物はない。とくにあいつら「北の蛮族」たちは。」
「北の蛮族。」
あかねは東風の言葉をなぞった。それは初めて耳にする部族名だった。
「あいつらがこの南の丘までやって来たことは、忌々しき問題だな…。これは、この辺りの邑々の存続に関わるぞ…。兎に角、奴らが襲ったのはあの樫の木邑だな…。」
そう言うと、東風は煙の上がる方向へと歩みだした。
「先生?」
あかねは彼のすぐ後ろを追った。
「あかねちゃん、悪いけど後でちゃんと送ってゆくから、先に様子を見させてくれないか。薬師として放っては置けないんだ。」
東風はあかねにそう声を掛けた。当然だ。あの煙の様子では、怪我人が沢山出ていることだろう。薬師の倫理が東風の中で蠢いた。
「あたしも手伝います…。」
あかねは小さいが透き通った声で東風にそう告げた。東風はそれには答えないで、どんどんと先を急いだ。
半時も歩いたろうか。
畑中に広がる環濠の向こうに点在する藁葺きの竪穴式住居が沢山見えた。東風の予想違わず、草葺の屋根からは濛々と煙が上がっていた。辺り一面、物が焼け焦げる濁った臭いが充満していた。
人々は呆然と立ち尽くす。
ある者は地面へとのめり込み、またある者はぼんやりと燃え上がる天上を見上げて座っている。砂煙の向こうにある厳しい現実。まさにそこは地獄の様相を呈していた。
「先生…。」
あかねは戦慄した。何か良く分からないが、激しい感情が己の五体を突き抜けていったような感覚に見舞われた。視界に入るそれは、凡そ噂に聞いた大きな美しい邑のものではなかった。激しく貪られた後の沈痛が、残った人々の瞳へと宿る。
見渡すと、若き男たちの殆どは、地面へと這い蹲っていた。ある者は槍を突き立てられ、また、ある者は矢を射掛けられて無残にも骸を曝していた。思わず目を背けたくなるような光景。
物言わぬ、父や母に縋ってなく子供達。そしてまた、嘆き哀しむ年寄りたち。そこら中で物が燃える音と、人々のすすり泣く声が聞こえてきた。
ただ、気がついたのは、若い乙女の気配が全くないということだ。
「何故…。」
あかねは放心したように、邑の入口付近でへたり込んだ。
「じいっ!源じいっ!」
東風は知り合いを見つけたのだろう、たっと地面を蹴って走り寄った。
「おお。東風か…。はは…。やられたよ。奴ら、ここまでとうとうやってきやがった。そして略奪のし放題を尽くして行きやがった。この部落の若い女という女は殆ど奴らの手に落ちたぞよ!くそうっ!!この邑ももう終わりじゃっ!」
源じいと呼ばれた白髪の老人は手を土くれに突いて泣いていた。
「大丈夫だ。傷は浅い。」
東風はじいさまを見ながらそう言った。
「身体の傷は浅くても心の傷は…。」
そう言ってぐっと握る掌。
「先生、一体何が在ったの?さっきの女たちの行列と関係があったの?」
あかねは納得がいかぬという顔を東風に手向けて質問を浴びせ掛けた。
「そのお嬢さんは?東風や…。」
源じいは弱い声で東風に尋ねてきた。
「今僕が世話になっている邑のお嬢さんだよ…。薬草を摘みに朝から蓬莱山の麓まで入っていたんだ。途中で奴らの行列に出会って…。それで来てみたらこの有様だ。」
「あの時の再来じゃな…。悔しいがもうこの老いぼれが叶う相手ではなかった。」
そう言って肩を落とす老人に東風は優しくも厳しく言い放った。
「いつかは奴ら滅びる…。女が居ない社会なんて、そんなものクソ喰らえだ。欲望のままに突き進む男達など無意味じゃ!」
肩を震わせながら無念の涙を流す老人、そして邑の惨状にあかねはぐっと下唇を噛んだ。
(c)2012Ichinose Keiko